ルー・リード~ベルリン プロデューサーの存在につて

ピーター・ガブリエルのファーストソロの時もそうでした。
ルー・リードの「ベルリン」についてもボブ・エリズンのプロデュースのやりすぎではないかと。
プロデューサーが編曲をやりまくり、制作・演出以上のことをしてしまっている。
メンバーの一員のようではないか?
という批判がひと頃なされました。
確かにクリス・トーマスのようなプロジュースとは違う。
そのためピター・ガブリエルの方は本当に参ってしまったようです。
友人のロバート・フリップはその有様を心配しました。
彼はアルバムに参加し(最初から決まっていたのかもしれませんが)、凄まじく美しいギターをピーターのために弾いています。
でもこれもボブの書いたスコアか?
ロバートのギター旋律とは明らかに違う気がしますね。
もしロバートが任されていたら、ギターは奏でずに管弦楽を使うと思います。
1期クリムゾン(アイランズ)の頃のアレンジのような(ジャズ系にはしないでしょうが)。
ピーターは後ほど"Here comes the Flood"を、自らのアレンジで別アルバムに収録をしています。
ピアノ主体のシンプルで宗教的なまでに厳かで内省的な曲に仕上っています。
エリズンのものは如何にも人類を押し流す大洪水がやってくるぞという勇ましい劇画調(半沢直樹調いやゴジラか?)のひたすらドラマチックな編曲でしたが、後のものでは強烈な内的緊張を畳み込んだ静謐な強度を堪能できました。
ピーターの天才がよく分かります。でもそれでボブアレンジチューンの作品価値は揺るがない。
ピーターものがあくまでも別解釈です。
当のミュージシャンがどう思おうと、作品が素晴らしければ、それまでです。
わたしは、ふたりのそれぞれのアルバムは大好きです。
ピーターはこのアルバムで、彼自身のソングライターとしての才能を余すところなく発揮していますが、それをさらに万華鏡のように煌びやかに輝かせているのは、ボブの仕業でしょう。これだけ様々な曲を個性的に際立たせながらアルバムとしてのまとまりを見事に保っているのは、プロジューサーの才覚です。
同様にというか、ピーターのものよりも批判の多かった、「ベルリン」です。
しかし、このアレンジ以外のものをわたしは想像することができません。
ましてやこれ以上のアレンジ・流れは考えにくいものです。
その論拠の最たる部分はアルバムのイントロ、1曲目への導入部分です。
あの"Happy Birthday"からLady Dayへの夢から覚めるがごとくの繋ぎ。
これひとつとっても、圧倒的なルー・リードの世界の解釈がなされている証拠です。
十全なアーティストへの深い理解なくしてこれが生まれるものではありません。
これほどすばらしいアルバムへの導入・演出はまず無いです。
あえて言えばプロコルハルムのグランドホテルくらい。
その導入から最後の”Sad Song”までの流れ起伏の見事さ。
ルー・リードのストーリーが完璧に始まり流れ収束してゆきます。
(間違ってもボブの物語ではありません。)
確かにボブは音が多いです。その上分厚い。ひたすら盛り上げる。ですからピーターにアコースティックピアノの音だけで奏でられると、こちらは時に冷水を頭からかけられた感もするのです。
では、このアレンジでルー・リードの曲の質が落ちたかといえば、全くそんなことはないと確信をもって言えます。
ルー・リードはアコースティックギター一本で大変説得力ある曲を聴かせてしまいます。
彼は最高のライブミュージシャンであり詩人です。
そのライブ録音も魅力あふれるものですが、スタジオ録音で彼本来の音楽をその本質をどれだけ結晶させるか、においては紛れもなくベストだと思います。
このアレンジにも無駄な音は一音も入っていないし、ルー・リードの音楽を多少なりとも歪める要素は皆無であります。
より心に深く浸透する楽曲に仕上がっています。
ましてや、アーティストを蔑ろにして自分がしゃしゃり出るプロデューサーなどと、飛んでもない中傷です。
もちろん駄作の一枚もないルー・リードのアルバムの中でもベスト版だと確信しています。
プロデューサーが一緒だと例えばロキシーミュージックとティルチューズデイが大変似た音楽性を持ったグループに思えてしまいますね。サウンドがどうしても似たものに聴こえてしまいます。
かなり隔たりを持つアーティストに似たような印象を抱いてしまうことが少なくない。
でもピーター・ガブリエルとルー・リードは全く別物に聴こえる。
当たり前ですが、プロデューサー主体であれば上のようなことは起こり得ます。
主体でなくとも無自覚であれば、彼の個性が如実に出てしまう。
または、やはり故意にしているのか。
例えばこんな仕上がりにしたいからこのプロデューサーを、ということで依頼するケースは多いですから。
でもそれで、他のアーティストと区別がつきづらくなってしまってよいものか?
別にボブ・エリズン擁護のため書いているわけではありません。
あれら大傑作アルバムが実はもっと良いものではなかったかという幻想は意味ないと思われる。
ということを述べたいと思い書きました。
もうあれらをすでに聴いてしまっています。
仮に異なるものが出ても、あれがわれわれにとっての原初体験です。
それが極めて強烈なものでしたので、その前提を壊すことはできないでしょう。
アンプラグドで演奏しなおすなど方法論はあるでしょうが。
前提以前に戻ることは原理的に出来ません。
ではそれは不幸な体験であったか、
否幸運であったとしか言えません。
あれらを率直に聴く限りにおいて。
とってもいいから聴いてみてを言うのに何をだらだら書いてしまったものか(笑
「ベルリン」は冬にこそ聴きたい。
この一言だけです(爆
*DVDも出ていたのですね。
わたしはLPレコードで十分です。が、DVDもきっと素晴らしいものではありましょう。
どんな演奏形態かは、気になりますが。
管弦楽なしでは、キャロライン・セッドなど厳しいと思いますので。

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