芸術の秋って。。。

娘たち(双子)の連合音楽会が今日10:30から、わたしの母校の中学校を会場に行われた。
他の小学校は2クラス単位で細かく分かれての演奏~合唱であり、舞台下の雛段2列にスッキリ立ち並び一人一人の演者の表情も良く見えて、こちらもゆったりと鑑賞できたのだが、、、
うちの小学校だけ学年(全4クラス)単位であり驚いた。
舞台上と舞台下の雛段合わせて3段ぎゅうぎゅう一杯子供たちで犇めいている。
長女はピアノ伴奏者であるが、直ぐ周りに広がってしまった高い壁に塞がれ、こちらの会場席からは全く指揮者の見えない状況に見えた。
それでも隙間から指揮が窺えることを願ったが、、、。
そのせいであろうか、、、。
戸惑ったらしく、出だしに一音とちってしまった(歌には影響ないところだったのでよかったが)。上手く誤魔化し滞らないように流したが、毎日聴いている耳にははっきり分かる。
その後は綺麗に合唱の伴奏となって流れていた。ペダルも効果的に踏めていた。
最後までシッカリ弾けていたので、よかったのだが、普段の家での練習では全くつっかえるところではないところでの序盤のミスは残念であった。
わたしも演奏会場の環境設定、ピアノ、椅子の調整がとても気になっていたのだが、これは合唱編成上のミスだ。
2曲あるのだから、2クラス編成でそれぞれ1曲ずつ唄えばよいではないか。
見た目もあんなにぎゅうぎゅうに押し競饅頭でもあるまいし、まことに見苦しい。
各学校単位の意向にまかされているはずだと思うのだが。
ちょっとこれは酷い。
会場校は、何と4グループに分けて伸び伸びやっていた。
まさか、うちだけひとまとめにやってくださいよと、強制された訳ではあるまいに。
せめて、その整列時にピアノ席から指揮の見える隙間を作るくらいの配慮をその場の先生にしてもらいたかった。
帰ってきた長女に最初の部分に関して聴いてみると、指揮が観えずに椅子から立って、つま先立ちで出だしを確認したという。
確か音楽の先生が後ろの方に控えていたと思うのだが、、、。
結局、最後まで全く指揮者も指揮も見えなかったそうである。
何を頼りに合わせるのか。
絶対してはならないのは、歌声を頼りに合わせることである。言語道断。常識以前のことである。
指揮は何のためにあるのか。それが重要だから先生が指揮をしていたのではないのか。
混乱と心細さのうちで弾いていたのだろうか、、、。
こちらの席からはその辺の苦闘が窺えなかった。
これまでの演奏会では、練習中のものより常に良い演奏が出来て、本番に強い印象であったが、流石に今回はキツかったようだ。
想えば、夏休み直前に楽譜を貰ってからその後かなりの長丁場であった。あるところで演奏自体がピークになると、その後はテンション維持にかなり工夫が必要となる。そこが子供ならではの部分でもあるが。期間が長すぎると途中のダレが来て、演奏にもそれまでの緊張が保てなくなる。何とか発表直前にまたピークを持ってくるようにしたのだが、残念である。
(わたしも頼まれて随分唄った、、、唄わされた(笑)。
兎も角、終わったことで通常のピアノ練習に戻れる。これが一番大きい。
新しい曲をどんどん仕上げてゆく、いつものパタンに戻したい。
恐らく長女もウズウズしだしていたはずだ。
(次女は相変わらず呑気にマイペースでやっている。熱気はまるでない(笑)。

噺は変わり、それぞれ異なる絵画コンクールであるが、初の姉妹一緒に賞を取った。
長女はこれで3年連続となった。
授賞式は、今回は近場であっさりしてそうなので助かる。
人数制限もないし、セレモニーとかで丸1日掛かったりもしない。ドレスで迷ったりもしない。外人に話しかけられないのも長女的にはホッとしているらしい(これは、語学や海外に目を向けるホントは良いチャンスなのだろうが)。
次女の方は単に展示を見に行くだけである。
ただし、横浜だと行った先で色々お金と時間のかかるアミューズメント系が沢山あってそれが怖い。
長女が前回横浜の違う場所であったが、随分あっちこっちに寄って大変であった。
横浜美術館にもついでに寄ったが、展示内容が実につまらなく残念であった。
調べずに偶々行くと当りと外れの差が大きい。

ここで、一区切りをつけて、これまでのルーチンに戻りたい。
まさかとは思うが、合唱は指揮者に合わせて伴奏し唄うということが徹底されていなかったのだろうか。
それが鉄則であり、何の為の指揮者なのか、という前提の問題でもある。
先生が指揮を担当しているという時点で、その重要性を踏まえたうえでのことと判断したのだが。
(よく子供が指揮をすると適当なノリで出鱈目なリズムになってしまうことが多い。)
伴奏者から指揮者が見えないということは大問題なのに、何の配慮も見えなかったということは、まさかとは思うが合唱で絶対やってはいけない、合唱の歌声を頼りにピアノを弾かせることを指導としてやらせていたのだろうか。
それほど初歩の初歩であるミスは犯してはいないと信じたいが、これを見た限りでは疑いが生じる。
歌声を聞いて合わせるということは、単に混乱し、必然的に遅延する。
伴奏者の負担は尋常ではないものとなる。というか当然、めちゃくちゃになる。
何のための指揮者かということである。