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東京暮色

bosyoku001.jpg

1957年
小津安二郎 監督・脚本
野田高梧 脚本

原節子 、、、沼田孝子
有馬稲子 、、、杉山明子
笠智衆、、、杉山周吉
山田五十鈴、、、相島喜久子
杉村春子 、、、竹内重子



BSで観た。
わたしは、無意識的に「東京物語」=小津映画という図式で観て来た部分が大きいように思う。
しかしまだ小津映画のほんの少しをかじっただけだ。ということを強く実感する。
昨日の「早春」といい、この「東京暮色」といい、わたしのこれまで抱いて来た小津(作品)像からはかなり異質なイメージをもつ。
「東京物語」が時空を超えた彼岸の眩い光のなかの記憶のような映画とすれば、これらの映画はダークサイド・オブ・ザ・ムーンである。まさに悪夢だ。
「早春」より更に泥沼化する。しかも徹底して暗い。闇夜ばかりの映像である。
バーも麻雀屋もとても暗くてどぎつい。下品ですらある。
これも小津映画なのか、、、と改めてその懐の深さを感じたが、余り感じたくもないものであった。

昨日の岸惠子は思い切り奔放で明るく我が道を力強く生きる女性であったが、、、
本日の有馬稲子はボーイッシュで岸とはタイプの違う美女だが、思いっきり暗い。内向的で頑なで厭世的な感覚がある。
まだ学生なのに、深夜悪い仲間とマージャンに興じていたりしているが享楽的な明るい雰囲気はしない。
父(笠)や姉(原)の言うように、母のいない淋しさが彼女をそうさせているのか、、、。

偶然自分もよく行くマージャン屋で、自分を幼い日に捨てて満州に男と出奔した母に邂逅する。
ここで自分のアイデンティティを確認しようとする。
自分の実母なのか。
どうして自分を捨てたのか。
本当の父は、いまの父なのか(そこまで懐疑的になっている)。
そして母に強い憤りをぶつけるが、同時に自分も恋人との間に出来た子を中絶したところであった。
母が自分を捨てたことに対する怒りは、自分にも向けられる。
哀しい宿命。それは繰り返す。

親にされたことを盲目的に反復していることに気付く。
また親に扱われた通りのことを周囲からされる。
そういうパタンが組まれている。
これを崩すのは困難である。

この有馬稲子~明子の心象風景が絵となっているような映画である。
何処にも出口が無いというか自ら固く閉ざしている。
愛し合ったはずの青年は(彼女が身籠った事に対して)全く責任感も愛情もなく、終始逃げ回っていた。
姉の原節子~孝子も亭主と上手くいかず、2歳の女の子を連れて父の元に戻って来ている。
父はかつて部下に山田五十鈴~妻を奪われている。
笠智衆~周吉は、男手一つで愛情を惜しまず2人の娘を大事に育ててきたが、「家」~婚姻・番関係は総じて安定しない。
元々、そうしたものだとは考えるが、男女関係は婚姻を超えたところに理想的な何かがあるのかも知れない。
(この辺になるとわたしは皆目見当もつかないのだが)。

ただ小津監督も原節子とは結局、結婚はしなかった。
結婚してしまってはそれまで、みたいな関係性はあるのだと思う。
確かに結婚は制度に過ぎない。そしてそれによってできる家も含めた幻想が、様々な疎外、喪失感を生む。
とは言え、フリーな恋愛観が問題が無いとは全く謂えない。
これに明子は足を掬われ、独りで抱え込み苦しんでいた。

bosyoku002.jpg

しかし、この暗さは救いの無さは、どういうものなのか。
ここで唯一、生きた愛情が通っていたところは、孝子の周吉に対する心遣いである。
確かに孝子は妹の明子にも優しいが、それはどうにも一方通行に終わるっているのだ。
妹がこころを開かなかった。

最後に唐突に妹が電車の踏切事故で死ぬ。
危篤の状態のときに彼女は「生きたい。もう一度やり直したい」と本心を素直に漏らす。
だが、そこまでであった。

bosyoku003.jpg

姉は実母のところに喪服で訪ね、明子が死んだのはあなたのせいだと告げる。
孝子は喜久子が花を手向けることも許さない。
実母は、今の夫と共に北海道で新しい仕事に就き暮らすことにする。


これは、どういう映画なのか、、、
まだ咀嚼が足りないようだが、、、暫く意識に絡みつきそうな感触である。





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