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早春

sousyun001.jpg

1956年
小津安二郎 監督・脚本
野田高梧 脚本

淡島千景、、、杉山昌子
池部良、、、杉山正二
岸惠子、、、金子千代
高橋貞二、、、青木大造
笠智衆、、、小野寺喜一
山村聰、、。、阿合豊
浦邊粂子、、、北川しげ
杉村春子、、、田村たま子
東野英治郎、、、服部東吉


BSで観た。
この作品、「東京物語」の次に作られた作品だそうだ。
何と謂うか、、、驚く。
笠智衆もかなり若くなっている!
山村聰と同僚の関係、、、。

今日初めて、サラっと観ただけの印象であるが、「東京物語」をはじめとする小津映画とは何か撮り方も異なる気がした。
ローアングルで、時折ビルの無機的カットが入ったり下町の風情と明暗の対比が描かれてはいるが、撮影手法が微妙に違う感じだ。
内容的にも、池部良と岸惠子の不倫による、池部ー淡島夫妻の危機的状況が描かれる。
間に笠智衆が入っている為、あっさり緩和されてはいるが、小津映画ではこういう情念の世界は初めて見た。
特に二人で初めて迎えた早朝の部屋に揺らめく川面の光の反映が彼らの内面の怪しく艶めかしい揺らぎを示しているところは唸った。流石である。

岸惠子は「君の名は」の次の作品ではないか?
ここでは「金魚」である。自由奔放な恋愛観をもつ積極的で自分に正直な女性である。
ある意味、怖いものなしでしなやかで強い存在である。
しかも大変チャーミングである分、言動が注目され易く、世間の噂に事欠かない。
もともと「目が大きくて、ズべ公だから」電車通勤仲間が「金魚」という綽名を付けたという。
随分である。

面白いのは、通勤列車仲間で定期的にハイキングなどを催しているという事だ。
そこで唄う歌がこれまた凄い。池部の転勤の時などみんなで「蛍の光」の熱唱である。
(軍隊仲間に通勤仲間と呑み仲間?等幾つもの共同体に属していることは今より寧ろ人付き合いは多様ではないか)?
ハイキングでも先頭はハーモニカで何やら文部省が推薦するような曲を奏でている。

そんな仲間とハイキングをしている最中に、無邪気に池部と共に、トラックを止めて、二人で荷台に飛び乗り燥いで手を振って走り去って行くのだ。万事この調子であるから、外野にいる連中はしきりに道徳や人道主義を持ち出し善人ぶってお説教を試みたりするが、要するに羨ましさからのやっかみに過ぎない。自分たちがサラリーマンで、「格子の無い牢獄」生活を強いられているという意識が強いために、自由で奔放な生き方をしているように映る人間が許せないだけだ。

しかしこの映画、過剰に会社勤め、サラリーマン、電車通勤をネガティブに批判する部分が多い。
まだ舗装されていない叢の目立つ道路をサラリーマンたちがぞろぞろと歩いてゆくシーンが印象的に映される。
(早く見切りをつけて良かったとか、、、脱サラした人が羨望の目で見られたりする)。
丁度、高度成長期に入った時期ではないか。
一方で植木等の猛烈サラリーマンがスーパーマン的な活躍をしているが。

単にこの時代の人々を距離を持って対象化するにしても余りに紋切り型で貧しい側面の捉え方にしか思えない。
(これは現代にも通じる)。
これを語っている時のBGMがサーカス小屋に掛かるような音なのだ。
サラリーマンの創造性~独創的な部分を見落としたら今の日本は語れまい。
どれ程の革新技術や発明、特許が生まれたか、それらは先進的な企業でのサラリーマンの斬新な発想と努力によるものだ。
逆に見れば登場人物たちの務める会社(丸ビルの)とはそれほどつまらぬところなのか、、、会社自体が先は無かろう。

噺は逸れるが、何をするにも結局、その枠内でどれだけ枠自体を揺るがす(ズラす)発想を展開するかに掛かって行くはずである。
蒲田から毎日、都心に通うサラリーマン。休日には、相模湖とか江ノ島~茅ケ崎へとハイキング等々。
このなかから見出せるものはあるはずだ。

とは言え、ここからの展開~逸脱は、岸惠子の誘いに乗って池部がお好み焼き屋でデートして一晩過ごすところか、、、その時の言い訳が病状の悪い同期の仲間の見舞いという嘘をつくところは、かなりドライである。これが夫婦間と金魚を含めた三角関係でのかなり重苦しい修羅場に当然の如くに発展する。


この映画流石に小津映画と思ったところは、「仁丹」のビルのイルミネーションが絶妙なところで大変シュールに夜空に光るところ。
同様なシーンに「月桂冠」もあったが、インパクトは「仁丹」であった。ハッとさせられた。

それから傘のついた電球の下で池部が新聞を読むところや向かいに住む杉村春子の夫が帰ったところで、鰹節を削らされるところなど、何ともいえない郷愁を覚えた。

相変わらず飲み屋~小料理屋の会話が軸になる。
呑兵衛は必ず出て来る。
そこにピッタリの東野英治郎。この人無しでは語れない(今回は酒に呑まれる役ではないが)。
そして浦邊粂子が小料理屋の店主であり池部の嫁である淡島の母である。
如何にも美味そうなおでんをいつも作っており、娘の最大の相談役である。


最初から倦怠期という感じであったが(冒頭の寝起きシーンからして)、浮気がバレ夫婦仲はかなり険悪になる。
池部はやり直す決心で、会社の要請を受け転勤を受け容れる。
岡山県の田舎町だ。
彼らの仲人の笠智衆の鶴の一声もあり、夫婦でその土地に移ることで心機一転、もう一度やり直しましょうと謂うところに落ち着く。
場所を変えるという事は、確かに効果はあるかも知れない。
関係性が清算される点において。

sousyun002.jpg

最後はその新しい地で、池部が謝罪し妻が許し、希望を見出したところで終わる。
強い明暗のコントラストで外を臨む池部と淡島の姿。



小津監督の映画としては、何とも微妙な違和感を抱く映画であった。
池部良と岸惠子が出ていることからくる新鮮さや不倫を軸に動かしているところもあろうが、何か違う気がする。
別に原節子が出ていないという事ではなく、、、

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