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ラストタンゴ・イン・パリ

Last Tango in Paris001

Ultimo tango a Parigi ・  Last Tango in Paris
1972年

イタリア

ベルナルド・ベルトルッチ監督・脚本・製作

マーロン・ブランド、、、ポール(安宿の主人、元アメリカ人)
マリア・シュナイダー、、、ジャンヌ
ジャン=ピエール・レオ、、、トム(TVディレクター)


意味ありげにフランシス・ベーコンの絵が始まりに掲げられる。
男と女の絵であるが、、、、。主演の2人を表すものか。
とても危うく不穏である。

彼の絵は頭部が大きくデフォルメされていて顔=名前が不明だ。
いつまでも掴めない。掴みようがない。
フィギュアの固定を拒む。生成し続ける顔とでも言うべきか。

お互いを掴めない間は常に新鮮な意識~精神で逢瀬を重ねることが出来る。
桎梏から逃れ生~性を全面的に実感する契機となろう。
名前や家や家族、職業これまでの歴史などアイデンティティに触れそれを特定する噺を徹底して避ける。
何者でもない、その都度初めて出逢う者として。

Last Tango in Paris003

偶然にアパルトメントの同じ部屋に目を付けたというだけのきっかけで、2人はその部屋を聖域として何度も性愛に耽る。
彼らにとって唯一のことばであるが如くに。自動的に機械的に続く。
何も知らない同士で、非日常における確かな時間を堪能する。
非日常であるからには、部屋には生活臭があってはならない。殺伐とした人工的な光が射していればよい。
そう、廃墟である。
これは傍目に(観るのは観客~鑑賞者から)見れば虚無的に映りかねないが、彼らを取り巻く日常的現実社会の方が不条理で浮ついていて混乱している。

男は明らかに現実~理由の分からぬ妻の自殺に打ちのめされて、逃避する場としてその部屋~彼女を必要としている。
彼女は勝手に役を押し付けて自分たちの日常をいつもカメラで撮り続けている彼氏にうんざりしている。
実際、彼氏の行為・言動は社会~規範を諧謔的に誇張して示しているとも受け取れるものだ。
2人は確かなものを掴もうとしていた。
そもそも男~ポールはアメリカ人である。異国フランスにやって来てフランス語を身に付けて暮らす外国人である。
ここに来て結婚をして定住するまでに色々な場所や人、モノを捨てて来たはずである。
「アメリカには嫌な想い出しかない」

Last Tango in Paris002

ことばを持たない(放棄した)純粋な関係というものも実現・維持は困難に思えるが、、、
しかし何を血迷ったか、男は「部屋」の外(日常文脈)で彼女との関係を持とうとする。
(その「部屋」は彼女のTVディレクターの彼氏には大人の生活ができない不吉な場所にしか感じられず、彼は他に部屋を探すことにする。明らかに普通の部屋ではないことを嗅ぎつけたのだ)。

妻の原因不明の自殺から、妻そのものが誰であったのかが分かっていなかったことに男は気づく。
(妻はこともあろうに、同じホテルに棲む彼の愛人に夫と同じ柄のガウンを着せていた)。
自分が何も分かっていなかった妻が35セントの剃刀で死体となっている現実。
彼はそのこと~分からぬことにも耐えられなくなったのか、、、。

男は彼女に「愛してる」とまで言う。
これでは、普通の社会のコミュニケーション関係に脱する。そこから逃れて来た匿名の者同士の関係で成り立っていたはずなのだが。
妻の自殺から自分のことまでID関係を喋ってしまう。名前も明かしてしまうのだった。
しかしそれで何かが分かる訳ではないことは、彼の死んだ妻の件から認識できることである。
(ただ通常のコミュニケーションレベルに彼らの関係が落とされることを意味しよう)。
だがこれまで通りの、またはその延長線上の関係が成立・維持するはずもなかった。
彼と妻との関係のやり直しを彼女とやろうと試みたのか。
それでは彼女はもはや彼と関係する意味がない。もはや謎を価値としない存在なのだ。
相互理解の世界に彼女を引きずり込もうとする彼には用はない。

この後は、彼の一方的で強引な彼女への働きかけである。
ダンスホールに連れてゆき(ラスト)タンゴを無理やり踊るが出鱈目な踊りがその枠内で認められるはずもなかった。
「もう終わり」なのである。当然そこを追い出され、彼女は彼から懸命に逃げる。
彼は彼女を追うストーカー以外の何者でもなくなり、彼女の家まで来てピストルで撃たれてしまう。
彼女に追いすがってレイプしようとしたただの不審者として。


男は、フランシス・ベーコンの描いた肖像画を凡庸な肖像画へと描き替えてしまったところで殺されたのだ。



性愛の描写は特に今の映画から見ると大胆でもなんでもないものであった。
お嬢さん」の方がずっと過激である。


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