魔法少女まどか☆マギカ 劇場版 新編

新編:叛逆の物語
2014年
新房昭之(総監督)、宮本幸裕 監督
虚淵玄 脚本
鹿目まどか (悠木碧)
暁美ほむら (斎藤千和)
巴マミ (水橋かおり)
美樹さやか (喜多村英梨)
キュゥべえ (加藤英美里)
佐倉杏子 (野中藍)
百江なぎさ 、べべ(阿澄佳奈)
唖然としているうちに終わる。特にエンドロール後の最後の映像、、、。
そのシーンは何だ?という感じ。(ほむらが高台から身を投げ、キュウべえが毛並みをグチャグチャにして怯えている、、、怯えであれば感情の芽生えか?)
昨日より物語は錯綜して凝縮しており、観た後でパッと書くのは更に難しい。
だが咀嚼しているうち入眠してしまいそう。観たことのあらすじだけでも書ける範囲で記しておきたい。
後で考えることにする(爆。
「ピュエラ・マギ・ホーリー・クインテット」とか言ってしまう序盤、どうしたんだ~と声を上げてしまったが、、、やはり尋常ではない禍々しくも美しいデストピアと謂うべきか、、、がギミックたっぷりに展開する。
まず驚いたのは出だしである。わたしは、ディスクを間違えて再生したかと思ってしまった。
前編そっくりそのままではないか、、、そして、やはり新編だったことに安堵するも、まどかが何故か普通に混じっていて、ほむらは眼鏡をかけた控え目少女としてやはり転校生として登場。もっとたまげたのは、5人そろって仲良く登校、そして放課後レクみたいなナイトメア退治でどうなるのか、、、。
大体、本来地上に一緒にいるべき面々ではなかろうに。

そしてこともあろうに、5人そろって「いくわよ、みんな!」と来たときは、真面目に心配になる。
プリキュア・ファイブか!?
所々でミュージカル調に躍動し、プリキュアみたいにコミカルにナイトメアを処理し、フルーツバスケット風の遊びも入る。
巴マミはこんな生活こそ自分の理想の生活だと喜びを噛みしめていた。
だがその空間も、ほむらの記憶の覚醒によって綻び始める。
尋常ではない気配がひたひたと迫って来る。
(こう来なくちゃとは思うが、同時にとても不安になる)。
平面的で装飾的なアートワーク。そのコラージュが増々禍々しさを吐き出して行く。
実写ならカメラワークになる空間の切り出しアップ、引きの切り替えも鮮やか。
コラージュ、パッチワークに吸い込まれてしまう。
「見滝原」という5人~鹿目まどか、暁美ほむら、巴マミ、美樹さやか、佐倉杏子~のいる場所が外部の存在しない、魔女によって構築された偽装空間であることが分かる。そう、魔女というこの世界に無い存在を、ほむらは思い出してしまうのだ、、、。
そして誰もの記憶が改竄されているのでは、という疑念が生じてくる。
マミは自分をかつて殺した魔女べべと昔からの友達だと信じ仲良く暮らしているのだ。
まずは疑うべきは、魔女のべべである。
べべを巡る、ほむらとマミの闘いは凄まじい銃撃戦となり唖然とする。
ここで、ほむらとの対話を通し、マミもその世界にいない魔獣についての記憶を蘇らせる。
べべも百江なぎさのかつての姿に戻り、マミの前で釈明する。
一方ほむらはさやかに救い出され、彼女が明らかに何かに気付いていることを知る。
さやかは魔法少女の中にこの状況を望みこの世界を創造した者がいることを示唆する。
そしてこの状況が悪いものなのかも問いただす。この願望世界が、、、。
何の悪さをするでもなく、ただ彼女らを閉じ込め現状維持しているだけの魔女とは何者か?

成る程ね、である。
ほむらが魔女になっていたのだ。
このような状況を~まどかの犠牲を無化するような茶番劇を~もっとも否定するほむら自身が創っていた。
しかも自身の「ソウルジェム」の中にひとつの街全体と自分が蘇らせたい人を無意識に選択的に再現していたのだ。
だが一人だけ世界に存在しない、鹿目まどかという存在も何の違和感なく入っていた。
まどかのことを知っている者は彼女しかいない。
インキュベーターにはそれは理解できない。
「あなたは円環の理を鹿目まどかと呼んでいましたね」ということだけは押さえている。
インキュベーターはほむらの「ソウルジェム」を遮断フィールドで隔離して、円環の理そしてほむらから仮説(事実)として聴いていた魔法少女から魔女への絶望による相転移エネルギーに関する観測及び干渉実験を試みその支配にまで及ぼうとしていた。インキュベーターが再編以前に自ら行っていたことを再発見する契機でもあった。(ほむらが魔女に変身したのはこの遮蔽フィールドによって円環の理の作用が及ばなかったからだ)。
インキュベーターはまどかに救済を求めるようほむらを促すが、インキュベーターの魂胆に彼女は激怒し、完全に魔女となりまどかを守ろうとする。後は百江なぎさ も含む5人にその身を委ねる。だが彼女らはそれを知っており、魔女の結界も遮断フィールドも破壊し、ほむらをインキュベーターから救う。この後の行動は、ほむらがまどかの本心を聞き取っていたところからくるものである。
まどか=円環の理にほむらも招き入れられようとするとき、ほむらは怪しい笑みを浮かべまどかの腕を握り、彼女から人間としての記憶を奪い取ってしまう。この行為は「ソウルジェム」を濁りより悍ましくも怪しい色に輝かせ、希望よりも熱く絶望よりも深い感情、すなわち「愛」によるものであることを告知する。
神を冒涜したことにより自身を悪魔であるとほむらは宣言する。
神の対概念である悪魔。
そしてほむらにより再び世界は再編される。
新たに生まれた見滝原中学校に彼女らは元のように在学しており、今度はまどかが帰国子女として転校してくる。
ほむらが彼女の校内の案内をするが、まどかは何か忘れている大きなことに気付く。
ほむらは彼女と敵対する立場となる可能性を示唆し自分がかつて貰った赤いリボンをまどかに返す。
この続きは間違いなくある。

それにしても長女はこの難しい物語をどのレベルでとらえたのか。
聞いてみたら、「二度見なければ分からないね」と言われた。
恐らく、二度見るだろう、、、。
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