ベイビー・オブ・マコン

THE BABY OF MACON
イギリス、ドイツ、フランス
1993年
ピーター・グリーナウェイ監督・脚本
ジュリア・オーモンド、、、赤子の母(姉)
ジョナサン・レイシー、、、コシモ・デ・メディチ三世
レイフ・ファインズ、、、司教の息子
フィリップ・ストーン、、、司教
これは、まずNHK・BSでは放映されない。買って来て観た。
ピーター・グリーナウェイは前から観たい監督であったので、、、。
なるほどねえ。
1659年のことだという。
イタリアの劇場で「ベイビー・オブ・マコン」というオドロオドロシイ舞台がはじまる。
吃音の餓鬼が預言をするところからもう尋常ではない空間構造を感じてしまう。
不妊と飢餓と貧しさに喘ぐマコンの街に美しい赤子が授かる。
奇跡の子と人々から崇められることになるその男の子は酷く醜い年増から生まれた(生まれる前は怪物が生まれると危惧されていた)。
しかし、その母の娘(赤子の姉)が自分がその子の母だと人々の前に名乗り出て、処女懐胎によってもうけた子供だと主張する。
娘はその子の聖性を頼みにその子から祝福を授からんとする人々から金品を受け取る。
金儲けを始めるのだ。教会(宗教)ビジネスであるか。
すると司教たち~教会が黙っていない。
だがその娘は堂々と自らが処女であることを調べさせる。
女たちは皆、口々に処女であることを認め、彼女は聖母の位置に着き、いよいよ奇跡の赤子の霊性は高まり人々はそれに縋ろうとする。
司教の息子は科学をもちだし、処女が子を産むはずがない、若しくは子供を何処からか盗んで来たのだと説く。
しかしその子が誕生してから街は豊かになり子供も生まれてくる兆しが現れる。
娘は生みの母と父を地下室のベッドに囲い幽閉してしまう。
白塗りのコシモ・デ・メディチ三世が観客として観劇に来ていたはずが、いつの間にか舞台上で子供を見たり触れたりしている。
次第に普通に観客が舞台上に登り、劇に絡んで来る。特にコシモは重要な場面で提案などして噺の成り行きを決めるほどの立場をもつ。
他の貴族も役をくれと金を払って舞台に混じってゆく。
一貫して「聖母子」を否定し批判を続ける司教の息子を娘は誘惑して堕落させようとする。
もうすんでのところで娘がその男を落とすとき赤子が牛を使って男の腹を刺し殺す。
娘は猛り狂って大きな鎌で牛を切り殺す。
司教は息子を殺されたことに怒り、娘から赤子を取り上げ教会で預かる。
教会もその赤子に目を付けていたことは明らかであり、これまでよりあからさまにビジネスを展開する。
しかもそのやり方は虐待による赤子の身体を蝕むような惨いやり方で商品化が成され、やがて人々も教会に批判的になる。
そんな折、例の娘がやって来て、赤子にこれまでの美しさが無くなっていることに悲嘆し彼を窒息させ殺してしまう。
何とか仕返しをしたい司教であるが、処女を罰する掟の無いその街では彼女に何もできない。
するとコシモが司教に知恵を与える。
その案通りに娘を処女を失う刑に処すればよいという事になった。
宗教的計算でよく分からなかったが、208回に渡り凌辱されることに決まる。
(コシモは途中で彼女に同情して泣いたりしてなかったかしら、、、要するに劇を面白くして愉しんでいるのだ)。
そしてその娘は刑の執行によってボロボロにされ結果的に血まみれで死んでしまう。
なお、その傍らで寝かされていた聖なる赤子は、周りの多くの人々(役者だか観客だか分からぬ者たち)によって衣服・装飾全てを次々に剥ぎ取られ、身体は切り刻まれ所謂、聖遺物として持ち去られていったのだ、、、。
これらの終盤は大概のスプラッター場面に鈍感になって来ているわたしでも観ていられないグロテスクさがあった。
全て人々の強欲の証である。こちらの方がグロテスクか。
そうだ、当然人々の凄まじいばかりの強欲が物質的に絢爛豪華に視覚化されたものだ。
実に豪奢なゴシック調の舞台装置であった。
恐ろしくどぎつく空虚極まりない劇が終わりを告げカーテンコールに、これまで死んでた役者も加わり挨拶をするが、死んだ牛はともかく、司教の息子と聖母がずっと死んだままで舞台に横たわっているのが気になった。
虚実が平坦に交錯する恐ろしく不気味で明るい空間が広がって行く。
そして驚くべきことに、、、観客席だと思っていた席も舞台の一部であり、拍手はその外から送られていたのだ!
飛んだ舞台~空間構造だ。
われわれは神の(超越的視座)からカメラによって彼らを具に見ることが出来たが、この観客席では観ることが可能なのだろうか?
オーケストラのコンサートではないのだ。
まあ、われわれの宇宙の構造だってどうなっているのかも分かっていない。
もっと驚くべき構造~余剰次元によって成り立っている感じである。
他次元から見ても、グロテスクに映る光景というのはありそうだ(笑。

観た後の余韻としては、「神々のたそがれ」(ゲルマン監督)あたりに近い。
また見ようとは暫くは思わない。だが、一度は見ておかないと損である作品であろう。
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