緑の光線

Le Rayon Vert
1986年
フランス
エリック・ロメール監督・脚本
マリー・リヴィエール 、、、デルフィーヌ
リサ・エレディア
ヴァンサン・ゴーティエ
ベアトリス・ロマン
BSで入っていたので先程、観た。
『緑の光線』という題に惹かれた。
最初SFかと思った。ゴダールに限らずフランスSFはなかなか手強い。
期待したが、全く縁のないものではなかった。
ジュール・ヴェルヌの『緑の光線』の噺は知らなかったが、そこから来ている。
バカンスの地が描かれていることもあり、絵は美しい。
ギリシャ旅行が友達のキャンセルで急にダメになったデルフィーヌがバカンスをどう過ごすのか、、、理想の彼をどうやってみつけるのかが淡々と描かれる。
7/4からバカンスの間、日記のように記される。
普通にバックに生活音が入って来てドキュメンタリーを見ている感覚にもなる。
デルフィーヌは少し鬱なのか、直ぐに泣く。友と噺をしながら直ぐに泣く、、、。相手は戸惑う。
友達は無いと(独りだとか)いいながらかなりいて、彼女のことを親身に心配し、バカンスの地を教えて泊まるところまで提供してくれたりする。
傍目にはかなり恵まれた環境~友人関係に想える。
「本当のバカンスが欲しいの~」ってなんだそれ?
独り旅を勧められるが、それも惨めで嫌だし、団体旅行なんてとんでもないという。
わたしにはよく分からぬままただ付き合う、、、。

あのシェルブールにも誘われ周囲は彼女に暖かく気を遣うが、どうにも馴染めずすぐにパリに戻ってしまう。
かつての恋人のいる山にも行ってみるが、そこも直ぐに退散。
ともかく訳もなく虚しいみたいだ。これでは、確かに実存主義的ヒロインだ?
バカンスもこのままだと無くなってしまう。
何とか良い場所で良い出逢いはないか、と焦るデルフィーヌ。
こんなながれでもフランス映画は雰囲気で魅せてしまう。
カードに拘ったり、前に別れたジャン・ピエール(サルトルかい?いや、彼はジャン・ポール、、、それを言うならジュネかランパルか、メルヴィル、、、どうでもよい)のことをずっと彼氏みたいに言っている。
パーティやっても、肉は食わない魚も嫌だ、とか扱い難いお姉ちゃんではある。
肉は赤い血をもっているからとか、、、。
友人に「言葉の問題だわ」と言われ「味と印象よ」と否定しているが、わたしは言葉の問題であると考える。
理想の彼氏にしたって言葉の問題ではないか、、、。
結構、我儘なヒロインなのだ。
(ヒロインはちょっと地味な感じで周囲の女友達の方が華やかでもある)。
ともかく、「行動」を勧められる。

「自分自身や他人との触れ合いを取り戻そう」
という緑の看板を見つける。
緑色のトランプも拾っているが、その緑は彼女の「今年の色」であるらしい。
極めつけは、どこかのおじいちゃんおばあちゃんたちによるジュール・ヴェルヌの『緑の光線』についての雑談のところだ。
ヒロインは彼らの対話を傍らで聴いている。
「水平線を切り裂く緑色の刃」の噺である。
「緑の光線を見た人は、自分と相手の気持ちが分かる」という。
その中にいる老人が立ち上がり得意になって原理を語る。
「それは空気の澄んでいる時に見える可能性がある。
大気のせいであの水平線上に見える太陽は光の屈折により実際には0.5度ほど下にある。
そして太陽が水平線に近づくほど光の屈折率は高くなる。
太陽が水平線に消えそうになる時、太陽はすでに水平線の下である。
プリズムと同様光の分散により、スペクトルの中で最も角度の強い青が大きく屈折し最後に周囲の空気の黄色に混ざり見えるのが緑の光線である」と。
デルフィーヌはその後やはり親切な友人に美しいビーチのあるリゾート地と義兄の持っている部屋まで貸してもらう。
随分、恵まれていると思うが、、、。
そこで出会ったスウェーデン人の美女と友達になるが、そこでも話しをしているうちに泣き出す。
やはりバカンス中の男性を交えその魅力的な女性が噺を盛り上げているうちにデルフィーヌは独りでその場から逃走する。
日本人なら義理でそこそこ愉しく立ち振舞ってから後でさよなら、であろうが間髪入れず気に入らなければ走り去る。
分かり易くてよいともいえるし、フランス人らしいといえばそうだが、、、。人に逢う事で自らの孤独が顕になるようだ。
それは理解できる。
そして最後に、、、駅でドストエフスキーの「白痴」を読んでいる時に気に入った男に出逢い自分から声をかける。
かなり積極的に誘い、その男の行くところについてゆく。
こざっぱりした港町のようだ。
そこで解放されたのか、自分のことを率直に喋る。
彼と岬に来て腰を下ろし話を続ける。
一緒に来ないかい、、、もう少し待って、、、。
彼女の見つめる先を知り、彼は悟る。
また泣き出す彼女と一緒に夕日の沈むのをじっと見守る。
そして見事に滅多に観ることの出来ない緑の光線を二人で見届ける。
(この女性はこれくらいの現象が味方しないと何の決断~相転換も出来ないのだ)。

ここでもし光線が見れなかったら彼女は一生独りで暮らしただろうな、と思える。
強力な美しい現象というものは、確かに何かを変える契機になるものだ。
かなり緊張感のある心地よい映画であった。
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