ロリータ

Lolita
1662年
イギリス
スタンリー・キューブリック監督
ウラジーミル・ナボコフ脚本・原作
ジェームズ・メイソン 、、、ハンバート・ハンバート
スー・リオン 、、、ロリータ・ヘイズ
シェリー・ウィンタース 、、、ロリータの母
ピーター・セラーズ 、、、クレア・キルティ
ここでも「博士の異常な愛情」で3役熟していたピーター・セラーズの七変化が見られる。
この映画の異常さを見事に演出しているではないか。特に眼鏡をかけた黒い背広の出で立ちでのダンスの姿は異様な個性を感じる。まさにただものではない感がビシビシと来る。
噺は時々、ハンバートの独白のようなナレーションが入るところが、ちょっととぼけていて面白い。
はっきり言って主要キャストは皆かなりおかしな連中であり、まともなのはロリータだけか、、、と思える。
彼女の成育環境からみても、とても真直ぐに強く賢く生きている。しっかり自分を守れるところなど凄い。
(弱い娘なら、不良にでもなっているところだ。日本ではヤンキーか)。
ハンバート教授は夏を過ごすために田舎町で下宿の家を探す。
ヘイズ夫人の家は乗り気ではなかった(夫人のせいで)。
だが、庭で偶然出逢った少女に魅了される。いや、、、
ともかく教授の内なる何かが強烈に呼び覚まされたとでも言うべきか?
直ぐにその家に滞在始めるが、ロリータが気になってたまらない。
しかしその母ヘイズ夫人が教授に恋をしてしまうのだ。
(夫は7年前に他界している)。
ハンバートにとっては婦人が鬱陶しくて堪らない。
何とか、ロリータとの二人の時間を作りたい。何でも欲しいものを買い与え気を引こうとする。
しかし夫人は娘にどうやら女としての敵対心を抱いているようで、ロリータを自分のところから遠ざけようとしていた。
ヘイズ夫人はついに、娘への嫌悪とハンバートと一緒に過ごしたい気持ちからロリータをサマーキャンプに出してしまい、その後は全寮制の学校に送りそこから大学に入学させるという、徹底的に娘のいない生活を企んでいた。
教授はロリータと離れたくない為、ヘイズ夫人の求婚を受け容れる。そうすれば父として彼女と繋がる。
だが、ハンバートの日記を盗み読みした夫人が事の次第を知るに及ぶ。
ハンバートとしては、ピストルで彼女を事故死に見せかけようか考えるほど追い詰められていたところであったが、ヘイズは怒り狂ってに雨の中、表に飛び出した際に車に引かれて絶命する。
転がり込んだ幸運。

彼女を連れ戻し、それからはハンバートの天国かと思いきや、、、。
この男、詩を書き小説などを執筆し、人の機微や心理にも通じているはずなのに、ロリータを一個の独立した人格として扱えない。
酷い母親以上の関わりである。これで好かれるはずはない。
束縛が激しく帰りの時間や交友関係に煩く、自由や自立など微塵も認める気はない。
ダンスもデートも禁止、学校の演劇にも参加を認めようとしない。
完全に自分の物扱いなのだ。
つまり、美しい娘に純粋に恋をしたというのではなく、自らのエゴを彼女を通して実現しようとしたに過ぎない事が分かる。
言い争いが絶えない日々が続き、ロリータも発狂寸前となる。

そして学校を退学させ、彼女を独占するために車の旅で過ごす。
これには参るが、ロリータも尊敬するキルティに頼み心理学の教授としてハンバートを説き伏せようとしたり、叔父にしてインフルエンザで入院した病院から脱走をして成功する。何役ものキルティを愉しめ、面白くも気味が悪い。
ロリータはやはり彼女に無理強いするキルティからも離れ、純朴な青年労働者と結婚し子供までもうける。
アラスカに移住するための費用を無心する為ハンバートに手紙を出し、ロリータは結局13000㌦をドライにせしめる。
これは曲がりなりにも彼の彼女に対する親心でもあり恋心と取ってあげてもよいところか。もう最後の清算(家まで売って作っている)で後を考えていないともいえる。
そしてハンバートは、彼女とキルティとの一件を知り、自分が彼女にとってどれくらいのものであったかを悟り、絶望して泣きながら去って行く。
そしてハンバートは冒頭にも繋がるキルティ宅を訪れ彼を射殺する。
少女像の絵の裏に隠れたキルティに少女の顔に弾丸を浴びせ彼を殺す、、、象徴的な最後となった。
これこそ清算であろうか。
ロリータ・ヘイズのスー・リオンはまさに”ロリータ”のイデアに相応しい。
ピーター・セラーズの毒は癖になる。要注意だ。
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