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愚行録

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石川慶 監督
向井康介 脚本
貫井徳郎『愚行録』原作

妻夫木聡、、、田中武志(ジャーナリスト)
満島ひかり、、、田中光子(妹)
小出恵介、、、田向浩樹
臼田あさ美、、、宮村淳子
市川由衣、、、稲村恵美
松本若菜、、、夏原(田向)友希恵(田中、宮村の憧れの存在)


まずは物事の捉え方の問題である。
この国は見方が実にステレオタイプ化していて、警察国家的な様相がある。
規範(道徳)を振り翳し、得意気に暴力的に人に指図する愚劣な行為。
ここには人間の身体性~総体性はなく記号としての対象(関係)しかない。
年寄りがいるから、まだ若いお前が席を譲れ、(だけ)である。
(このような人間に絵を描かせて、感動~発見を感じるものなどまず無理であることは断言できる)。

この辺に拘り引っかかってくる映画なのかと思って取り敢えず見始める。

主人公の妹がネグレクトにより投獄されている。
彼女の幼い子供は、栄養失調による重体で後程亡くなる。
弁護士や精神科医との対話から、主人公と妹が壮絶な幼少時代を掻い潜ってきたことが分かる。
この妹はその家庭環境により、特に深い精神的外傷を受けていることが窺える。兄もトラウマは抱えつつも外面には出ない範囲で日常を送っている(陰鬱な無表情が主調となっているが)。

両親の虐待が精神に及ぼす影響は計り知れない。
幼少年時の精神を形成する時期であれば、大変深刻だが大概、生まれた後から直ぐに始まるものである。
それは外からは見え難い。場合によっては、手のかかる子供を懸命に守る親のように映る場合も少なくない。洞察力のある人なら異様な関係に疑いの感覚を持つが、上記のバスの車内で、高圧的に席を譲れと言って正義の味方気どりしている程度の馬鹿では、まず何も~内部の深く複雑に絡んだ関係、その襞に対する感覚など微塵も持ち合わせない。そしてほとんどがそんな者であることは、わたしも身に染みてよく分かっている。
ここで、主人公は面白い事をする。席を立った後、足を引き摺って歩き、ご丁寧にコケて見せたりしている。
バスを降りてからも窓からその男の確認できる範囲で足を引き摺って見せる。

やった行為の相対化は図れるかも知れぬが、その程度で人が利口になることはない。
こういう返し方も場面によっては、効果はあるかも知れぬが、、、。

多様性の只中に在って、われわれは選択を強いられもする。
日常のなかで正誤を決めなければならぬ場面もある。
しかし流布される情報はかなり曖昧だ。
自分の感性と美意識の問題である。それを研ぎ澄まさないとすぐに絡めとられる。

ここでは、大学生活での階層~階級のようなことについてもしつこく出て来る。
初等部からエスカレーターの金持ち学生と大学受験で入ってきた一般学生との間の格差だという。
受験で入った学生が(特に女子学生が)初等部上がりの学生に憧れるという構図であるが、何とも浅ましい。
金があり遊び慣れていて別荘や外車やその他諸々を所持していて色々な場所を知っている、、、程度のことだ。
何でそんな皮相的な部分に拘るのか?
主人公の妹はそもそもその大学に何しに入ったのか?
過酷な歴史~アイデンティティから抜け出るためにブランドを欲しただけなのか?
その時点ですでに、ペラペラな連中と同じ穴の狢であり、価値観が同じだから相克の関係が生じる。
親の(精神的・肉体的な)虐待によって真っ当な自己イメージが確立できない~崩壊していることはよく分かる。
だがそこに、憧れのアイドル(イコン)を持ってきて、あの人のようになりたい、はないだろう。
何と内省を欠いているのか!どこまで外面的なのか?あるいは、自己対象化の経験がないのか?それでは自己解体~自己遡行が出来ない。

わたしは、外の何かに理想を投影したことはない。
大学では、ここぞとばかりに独りになった(やっとなれる環境を得た)。
徹底して関係を切断した。
自分自身の為だけに時間を費やし、自分自身になることだけを目指した。
ここで、自分自身自体がフィクションだろ、などとぬかすタコは完全無視する。
こちらを他者(独立人格)と見れない親の無意識の為に、自分が自分を生きれない心身喪失(崩壊)の状況であれば、自己イメージを容易に誰かさんのものに同一化するなんてそれこそ危険極まりないし、そもそも出来る事ではない。
どうもこの妹の実存的症状が分からない。大学ではただの上昇志向で見栄っ張りの普通の女子ではないか。
トラウマに苦しみフラッシュバックに悩み、自己イメージの脆弱さと不安の為に躓くような、内的葛藤が窺えないのだ、、、。
外ばかりに関心を払っている。つまらぬ事や人ばかりに、、、。
大学でダラダラと自堕落な生活を送り、基本人を駒のようにしか見ない女子学生に憧れ彼女にはなれないと知って殺害に走るという事自体が、初めから完全に精神崩壊して極めて危険な形でずるずる生きていた証明だ。
(勿論、本人の元々の資質・価値意識の問題もあろう)。
育児放棄もその延長上のひとつに過ぎない。
自分を生きていなければ生命は扱えない。
何故、自分や親を、その在り方と歴史を洗い直さないのか。
いやそれが出来ないほどに病み切っていたのだ。すでに崩れていたのだ。

彼らの親もそういう人間であったわけだ。それはそういう形(愚行)で遺伝・継承される。
断ち切らなければならない。
何らかの形で(方法で)切断しなければ。
「親」を完全に断ち切り、周りの全てを敵にまわしても、自分自身になり自分の生命で生きることで、まず始まる。

この映画など途中からどうでもよくなった。
わたしにとっては、自分を振り返る契機となった。

ともかく、主人公の心理の流れは分かるが、妹には全く共感しないというレベルではなく、人格・精神状況の設定をもっと練ってもらわないと、全くリアルさはない。





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