トマソンは不動産を指すのだった!

制作者がなく無用の長物で、鑑賞するもののみがいる、という観点ではトマソンは日常にかなりありふれていますが、こと不動産に属するものと定義されると、わたしが片っ端からトマソンを連発していたもののほとんどが露と消えてしまいます。しかし、これなど、不動産ではありませんが、これから100年待っても、こんなものに出会えません。
制作者はおりませんし(娘が無意識に掛けたものです)、無用と言ったら、あくる朝には全く気にもとめられずにそこから剥ぎ取られて娘に掘られてしまうのですから。あの造形を目に留められたのは偶然わたしが水を飲みに一階に降りたためです。本当にありえない造形で、恐らくわたしにとっては、幽霊を見るよりもありえない経験です。
幼い頃、室内に掛けられた干物が何か名状できない特定のモノ(怖いモノ)に見える、そんな一瞬時間の止まる金縛りー宙吊り経験は少なからず誰もがしていることでしょうが、すぐにそれは見慣れた知っているものに命名され、ただの背景に沈んでゆきます。あとはいつもの退屈な日常です。
あれは、トワイライトゾーンに浮遊するオブジェをかろうじて写真に撮ったという自覚はあります。
少年期の白昼夢を偶然、無意識に拾ったようなくすぐったい想いと共に。
トマソンが不動産であることを定義しているのは、その場所が厳然としてあることをグループで確認するためでしょう。つまり、報告者がグループの人たちに周知しそれを認定して情報を共有出来るということを「トマソン」の中に予め繰り込んでいる。
ならば、写真でも私の見た情報は共有出来ますね。
では、不動産でなくても良いのでは?もともとあのような危うい建造物はいつ取り壊されてもおかしくない物ばかりですし。だから大概、説明のためもあるでしょうが、写真にもおさめられている。
わたしの「あれ」と比べ、存続タイムスパンが不動産の方が若干長いという、程度の問題かと。
また、メンバー以外の人の多くは、どちらにせよ写真以外で確かめる他は無いです。
どなたかご意見ください。
私自身あまり知らずに、この概念を勝手に使ってブログを書いたりしており、お叱りを受ける可能性はあるなとは思いつつ、そのブログが現在のところ、Web上でのトマソンとなっており、情報がないに等しいため、なんら議論の対象にもならないでいるに過ぎません(笑
確かに、今振り返ると全くトマソンになってないものがかなりありますので、それは後日整理させてもらいます。済みません。しかし、あの造形は、何らかの形でとっておきたいものです。
もはや、写真の中でしかないもの。
勿論、それが何だと言われれば、文字通り何でもないモノです。
これは、トマソンではないか?
別にこだわるつもりは、毛頭ないです。
それ自体、もはや作者のいない、無用のもので、すでに消え去っており、その写真自体実は、面影の残り滓のようなもので、、、そのときの感動を封じ込めているとは言い難いのです。

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