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太陽は光り輝く

THE SUN SHINES BRIGHT

THE SUN SHINES BRIGHT
1953年
アメリカ

ジョン・フォード監督・製作
ローレンス・スターリングス脚本
アーヴィン・S・コッブ原作

チャールズ・ウィニンガー 、、、ウィリアム・ピットマン・プリースト判事
アーリーン・ウェラン 、、、ルーシー・リー(黒人学校の教師)
ジョン・ラッセル 、、、アシュビー・コーウィン(富豪の跡取りで遊蕩児)
ラッセル・シンプソン 、、、ルート・レイク医師(ルーシー・リーの養父)
ミルバーン・ストーン 、、、ホーレス・K・メイデュー(プリーストの選挙のライバル、弁護士)
ドロシー・ジョーダン 、、、ルーシー・リーの母親(元娼婦)
ジェーン・ダーウェル 、、、オーロラ・ラチット(町の有力者の婦人、オルガン奏者)
フランシス・フォード(監督の兄) 、、、フィーニー(飲んだくれの猟師)
スリム・ピケンズ 、、、スターリング(フィーニーの若き相棒)
ミッチェル・ルイス 、、、アンディ・レドクリフ保安官
ポール・ハースト 、、、ジミー・バグビー軍曹
ステッピン・フェチェット 、、、ジェフ・ポインデクスター召使
エヴァ・マーチ、、、マリー・クランプ(娼館の経営者)
ジェームズ・カークウッド 、、、フェアフィールド将軍(ルーシー・リーの祖父)


「ケンタッキーの我が家」が最初と最後に来るが、最後に聞く時は感動(涙。
美しい。
美しい映画だ。
南北戦争の40年後、ケンタッキーの物語である。

映画というものは、こういうものだという事を実感する。
わたしは絵や音楽にはずっと浸って来たが、映画を観る習慣は持たなかった。
未だに映画については疎いし、観た数も少ない。
ブログを書く名目で映画を観ているところもあるが、まだ映画を観ること自体、キツイ感覚がある。
映画を観ることが習慣になっている人も多いそうだが、まずわたしにそのような境地はやってこないことは確信する。
観ることが苦行以外の何ものでもないことが少なくないのだ。

それでもちょっと気になり観てみたくなる。
じっさいそんなところなのだが、自閉症的にここ最近は観ている。
毎日見ないと気持ち悪いからだ(苦。


このような構築美~文法が映画なのかと思う。
様式美に殊更拘っているとは見えないが、最初の光景からラストまでを精緻に組み上げてゆく流れはまさに映画と感じる。
後半のラベルのボレロの畳みかけるリズムを想わせる静かだが途轍もなく力強いドロシーの葬儀の行進へとそれまでの流れが集まって行くこの光景は、その場に取って付けられたものではなく、最初から始まっていたことが分かる。シーンの連なりとして。

思想とか謂う以前に、人の尊厳を守るその意志が次第に小さな流れを集めて太く確かな流れを形成して、周りで傍観する者を圧倒し声も出させない。その行進自体が思想であり信念でありそれに共鳴した者は、ひとりまたひとりと流れに加わって行く。
このシーンに来るまでは、速い馬を走らせたり、無実の者を引き立てようと押し寄せてくる無知蒙昧な行進もあるが、それらを全て呑み込む誇り高い行進が生まれる。
ここは恐らく映画史における名シーンではないか?
(その後も華やかな、明るい、しっとりした様々な行進~群れて並んで歩く様子がありそれぞれに雄弁であった)。

その行き着いた果て、教会での判事のヨハネの福音書から引用した説教も素直にこころに染み入るものであった。
「これまでに罪を一度も犯したことのない者は、この女に石を投げなさい。」というところだ。
ひとりまたひとりといなくなり、姦通罪を問われた女とイエスだけがその場に残される噺である。
「わたしもあなたを罰しない。」

そしてまた驚いたのは、ラストの自分の一票の差で再選を決めた後、独りで自宅の玄関に入り、その奥のドアを開け、更に奥の廊下を渡り突き当りの部屋に消えるこの去り方。
最後まで映画的文法を駆使して作られたスタイリッシュな作品なのだと気付いた。
ルーシーが肖像画から自分の出自を悟るところやいくつかのカメラワークについても、、、
これまで観てきた映画の多くもそうであったはずだが、この映画はそれ~形式をその美によって気づかせてくれた。

二度演奏されるディキシーランドも陽気な音だが充分に響いた。
”ユー・エス”ウッドフォードのバンジョーによるディキシーは聴き応え(見応え)充分であった。
ハーモニカでの「草競馬」(フォスター)も良かった。
音楽の重要さも充分に実感する。

もう一度見たい映画だ。





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