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散歩する侵略者

BEFORE WE VANISH001

BEFORE WE VANISH
2017年
黒沢清 監督・脚本
田中幸子 脚本
前川知大『散歩する侵略者』原作

長澤まさみ 、、、加瀬鳴海(広告デザイナー、ガイド)
松田龍平 、、、加瀬真治(鳴海の夫、宇宙人)
高杉真宙 、、、天野(宇宙人)
恒松祐里 、、、立花あきら(宇宙人)
前田敦子 、、、明日美(鳴海の妹)
満島真之介 、、、丸尾
児嶋一哉 、、、車田刑事
光石研 、、、鈴木社長
東出昌大 、、、牧師
小泉今日子 、、、医者
笹野高史 、、、品川(厚生労働省役人)
長谷川博己 、、、桜井(ジャーナリスト、ガイド)


ここでいう概念とは古く根を張った支配的な記憶といったところか、、、。
スーパーエゴでもある。
通常新しい記憶は海馬~メモリーに蓄えられていて、古い記憶は大脳新皮質~HDDに移動されている。
概ね概念のように思考の基盤となるようなものは、後者にあるだろう。
まず場所が特定されなければアクセスもスキャンも出来まい。
しかしアクチャルな概念はそんなところに温存されているはずもなく、、、
まさに哲学は概念の発明にかかっているし、当然科学もそうだ。
最先端を行く思考運動においては常に概念は生成中にある。
更に日常ルーチンなどの多くは、身体に任されている(頭脳が全ての処理を中央からしている分けではない)。
だが、人間として(ひとらしく)生きるためにはこの辺の身体性はとても肝心な場でもある。

何と謂うか、人間という存在を探るに当たりちょいと人の頭から概念を掠めたくらいで何かが掴めるなんて原理的に不可能だ。
脳の複雑さは途轍もないし、精神というものを絡め考慮すると、まずどこにどうアクセスすべきか、、、多分分かるまい。
そしてそれをモニタリングする意識との関連もみなければ手落ちとなろう。
(実際、彼らはそれを言葉だけでなくイメージで鮮明に描いてみてください、などと意識~想像力まで働かせてそれを奪っている)。
そもそもこの宇宙人は何の目的で地球に来ているのか?地球人とは何かを探求しに来たのか?
そうであれば面白いと謂える。地球人にぜひその成果を教えて欲しい。まだ分からないことだらけなのだ。
侵略して人類を滅ぼすことが目的であれば、概念集めてどうなるのか?
遥かに効率的で有効な方法がいくらでもあろうに。
深宇宙から地球までやってこられる科学力があって、仲間が何処にいるか探せなかったり、ホームセンターで買った部品で通信機を組み立てようとしてみたり、よく分からぬ妙な事をしている。
ホントに人類絶滅させる気があるのか、と桜井は憤慨すべきだった、、、。
コメディタッチの音楽の入り方といい、意図的に作られている(演出されている)ズレ感覚でもあるが。

BEFORE WE VANISH002

宇宙人が概念収集しているときも言葉をすらすら使って質問していたが、あれらのセンテンス~文脈にもかなりの前提となる概念があったはずだが、、、。
どうなんだろう。天野など感覚的にほとんど日本人のジャニーズ系男子ではないか。
会話にコモンセンスがしっかりある為、ちぐはぐな印象は拭えない。魅力的なキャラには違いないが。
そして通信してからそれに応じて、空から火の玉みたいなのが落ちてきて爆撃みたいになったが、そんなものでは人類はまず滅びない。何なんだこのレトロな攻撃。
われわれは先祖の頃から火山の噴火の危機を何度も潜り抜けてきている(ちょっと古すぎるか)。近くでは空襲である。
それこそ、ハード面には危害を加えずウイルスなどを対流に乗せて感染させた方がずっと確実で効率的だろう。
結局、侵略を諦めたみたいだったが、この変な趣味の宇宙人には最初から無理だったと思う。
(人工衛星の機能もまともに調べていなかったし)。

また、地球を救うこととなった鳴海の「愛」の概念であるが、日本における「愛」は実質明治に文学(翻訳)等を通して入って来た、まだしっくりこないあやふやな概念でもある。(「愛」の文字は仏教伝来とともに、しかし意味は現在のものとは確か異なる)。
その他者を慈しみ大事に思う心は、日本ではどちらかというと情とか、、、切なさとか、、、可哀そうとか、、、
愛するというのも分かるが、恋愛の方がまだしっくりくるか、、、。
教会で牧師が愛を語って聞かせる場面があるが、まさに「愛」の概念はそちらのもの、、、西洋の「博愛」とか「神の愛」であろう。
すると鳴海の真治≒エイリアンへの愛はちょっと位相が異なる。

BEFORE WE VANISH004

「愛情」と謂えばしっくりするか、、、これはしかし対幻想におけるもので、パワーはあるにせよ、そうした構成をもたない宇宙人には、~ぼくたちには家族というものはなく仲間しかいないと述べていた~そもそも概念として理解・定着するのか。
しかし鳴海の「愛」で、彼らは侵略を取りやめて退散したという。ホントか?
俄かに信じられないことだが、、、あっても良いとは思う。
何とも言えない(概念を突き破る)力を受け取り尻込みしたのだ、と謂われればそれはそれで納得しよう。

ただ、宇宙人の完全な異質性~他者性を感じたのが、死に対する忌諱の念のないところだ。
(「死」の概念をわれわれに問われても何も気の利いた答えはまず返ってこないはずだが)。
われわれのどの文明においても、「死」を畏怖し忌諱もし、例外なく葬儀の儀式を執り行ってきた歴史がある。
天野たちにとって「生・死」とは何なのか、こちらから質問したいものである。ここがある意味、唯一宇宙人ぽいところであった。
それと合わせて基本的に身を守るというような危険認識がない。定着対象という身体性からくる認識により、単なる乗り換えという意識が強いのか。だが、それほど生に執着する様子もなく、乗り代えせずにあっさりあきらは死んでもいる。天野にしても。
地球人だからといって、あきらの何の躊躇いもない銃殺振りは生命に対する概念~認識の差か。
(勿論、松田龍平については全面的に宇宙人ぽかった。流石である)。

BEFORE WE VANISH003


この映画、概念と謂うより固定観念によってがんじがらめとなった人が出て来る。
何故か宇宙人に指を額に当てられ、概念を貰われるとその当人の概念が抜け落ちてしまうということだが(つまりコピーではなく、切り取りなのだが)、固定観念に縛られた人が解放されて身が軽くなる場面が幾つもある。
引き籠っていた丸尾や学歴のインフェリオリティコンプレックスに悩む車田刑事や鳴海の取引先の偏狭な仕事意識を持つ鈴木社長など、、、。しかし、それぞれが「所有」、「自己と他者」、「仕事」の概念であろうか、、、それに纏わる様々な屈折した観念や意識との絡みがあっての事だろう。それに丸尾の引き籠りから解放されたのが「所有」の概念を外したからというのは、どうにもしっくりこない。彼が言うように「僕に一体何をしたんですか?」である。実際、真治も分かっていない様子だ(松田龍平だからそう想えたか?)
ともかく、解放されること自体はとても良いことだ。皆爽やかな表情をしている。社長だけは退行症状が出て危ないレベルまで行ってしまったが、、、。
ダダの芸術家たちのように観念をシャツみたいに取り替えられるようになれば、いうことない。
恐らくは精神の病気にはなるまい。


「散歩する侵略者」という題に惹き付けられて観てみた。
松田龍平がもさっと散歩して叢でひっくり返っていて長澤まさみが探しに行くと、「転んだみたいだ」てなことを言ってぼ~っとしている。散歩途中、犬に噛まれて、「犬には話しかけない方がいいらしい、、、」等々。
散歩は昨日観たジャコメッティみたいによくしている。ジャコメッティと同じくらい変わっている。
それを際立たせる長澤まさみの極めてノーマルで賢く凛とした佇まいが地球人代表みたいで素敵であった。
終始こんな調子の、このふたりで物語を充分魅せてしまう。
そこに長谷川博己と若手ふたり高杉真宙と恒松祐里がしっかり固める。
長谷川が街の人々に向かって地球の危機を叫ぶところなど最もこの映画らしいシーンに思えた。
人々はスマホのカメラを向けるくらいの反応で、天野にはもう気が済んだ?とか言われ一緒に通信機設置の作業をしたりしている。長谷川が完全に天野の側に自らの意志で立っている。天野も彼に友情を感じているような雰囲気であった。
(結局、長谷川は天野になって晴れやかな表情で最後の仕事を成し終える。その後の爆撃機と機関銃のやり合いはご愛敬だ)。
安定した、時にはコミカルな演技で最後まで飽きさせずに持って行ってしまう。
ここは流石だ。
キャストの緊張感を持続させる演技の上手さで成立している部分は大きい。
見所の多い面白い映画になっていることは確かだ。


わたしとは何か、、、。
いずれにせよ、外からの目は大変有効で必要なものだ。
しかしこういう宇宙人では、ちょっと困る。



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