リバーズ・エッジ

2018年
行定勲 監督
瀬戸山美咲 脚本
岡崎京子『リバース・エッジ』原作
二階堂ふみ、、、若草ハルナ
吉沢亮、、、山田一郎 (同性愛者のいじめられっこ)
上杉柊平、、、観音崎 (若草の粗暴な彼氏)
SUMIRE、、、、吉川こずえ(若草に好意を寄せる後輩、人気モデル)
土居志央梨、、、ルミ (若草の友達、性依存)
森川葵、、、田島カンナ (一郎に一方的に思いを寄せる)
岡崎京子の原作ものということで観た。
書庫を調べてみたがこの本はもっていなかった。
岡崎京子の漫画をみていたのは、もう随分前になる。
あまりこの作家の本がない事を知った。
直ぐに際どい「ヴァルネラビリティ」(通常、暴力誘発性)による展開であるのだが、それはなんというか「強靭な脆弱性」とでも呼びたいところなのだ。ネガティブな意味ではなく、拡張して捉えたい。自らを曝け出す力とか。、、、それだ。
実際、いくら標的にされボコボコに虐められても一郎君は異様に強い。
若草さんに服を持って来てもらえれば(何故か彼はボコボコにされた後、身包みも剥がされる)それを着て普通に再起動だ。
確信をもってべつの道~独自の世界を歩んでおり、ブレずに飄々と生きている。
顔中に絆創膏を貼り、体は痣だらけでも。
若草さんにぼくは同性愛者だと淡々とカミングアウトして夜道を肩を並べて歩いてゆく。
どちらかと言えば、カッコ良いのだ。そして更なる秘密を打ち明ける!
ここからが、ツインピークス的な過激な名状しがたい世界への突入となる(爆。
場所としては河辺の草叢。そして夜の橋。
ここが境界であり、ゾーンでもあるか。
秘密の監視~パトロール場所でもある。

天敵とも謂えるのがいつも暴力を振るってくる若草さんの彼氏の観音崎であるが、こっちの方がずっと弱虫で虚勢を張っているだけのチョッとサイコな奴である。そして標的になっている一郎君は密かに女子に人気がある。ミステリアスだし(笑。そういうものだ。
そして一郎君をはじめ、みんな「ヴァルネラビリティ」に溢れていることに気づく。
そうなんだ。生きているということは、ある意味「ヴァルネラビリティ」の度合い~ブレ具合にもかかってくる。
ガードを上げっぱなしでは、何も出来ない。
しかし下げてゆくにつれ次々に異様な事件が勃発して行く(爆。
確かにリスクを取ることになろう。
だが闘う為でもある。

一郎君は若草さんに、河辺の草叢のなかに横たわる秘密の骸骨~お宝の存在を教える。
このお宝を知る者は他には後輩の美女モデル吉川こずえだけである。
普通の人に教えたのは若草さんだけだよ、ということから、こずえは普通じゃないらしい。
若草さんもしょっちゅう授業をさぼり、煙草をふかしているが、こずえはレギュラー番組が増えすぎて学校も続けられそうもなく、そのストレスで摂食障害になり食べたものをいつも吐いている。
彼女は一郎君の彼氏(片思いの相手)も知っており、若草先輩に好意を抱いている(一郎の逆パタン)。
多分に一郎君の鏡像的な人かも知れずその意味で普通ではないのだ。
この骸骨を見て若草は絶句する。ただ見るだけ。骸骨の秘密を三人は共有する。
それによる連帯とそれが微妙に引き起こす陰惨な事件。
実際にあっても良いがなかなかありそうにもない事態が始まる。

後輩の田島カンナが一方的に一郎に思いを寄せる。彼も来るものは拒まない主義か。
デートも何度もしているが、一向に距離は縮まらない。それは当然なのだがカンナには、理由が分からない。
そして一郎と若草が校庭で相談しているのを目撃し、ふたりの仲を疑う。
電話などでストーカーをした挙句、若草のアパートに放火し自分にも火が引火し焼死してしまう。
その現場を確認した一郎の顔には笑みが広がる。彼女からの解放を喜ぶものであったか。
「僕は最近、田島さんの気配を感じるけど、気にならない。むしろ死んだ田島さんを好きになった。生きているうちにもこんなに好きになれれば良かったけど」この感覚よく判る。とても。
「あなたは死んだ人しか好きになれないの?」「いや、僕は生きている若草さんが好きだよ。」(性的対象ではない。ほんとの親友だ。これはきっと)。
若草の親友?ルミは、性依存症である。サラリーマンから同じ学校の生徒からよりによって若草の彼氏の観音崎とも多くの関係を持つ。生きる実感が持てるのはその時だけだという。
観音崎もルミと同程度の性依存である。また麻薬もやっている。この二人が似たり寄ったりの鏡像関係(対象関係)と謂えるか。
おまけにルミは妊娠してしまう。それを降ろすことを巡り金銭問題のもつれから例の草叢で観音崎に首を絞められ失神する。
彼女が死んだと早合点した観音崎は一郎に泣きつき、若草とこずえも穴掘り要員として呼び、4人で死体を埋めることになるが、肝心のルミが息を吹き返し、よろけながらなんとか帰宅してしまう。だが、ちょうど部屋で彼女の日記を盗み見ている太った姉に遭遇する。日頃から犬猿の仲であった二人は罵り合い大喧嘩となり、勢いで姉はルミの身体を何度もナイフで切りつけてしまう。
病院に運ばれ命は助かるものの赤ちゃんは流れてしまう。
あっけらかんとしたルミの様子を見た若草たちは病室には入らず帰る。
若草は近所に気まずくなりアパートを引っ越すことになる。
観音崎は前日に荷造りの手伝いをしに来てサヨナラの挨拶をして帰って行く。もうお互いに会うことはないことを知っている。
その後、一郎がウイリアム・ギブソンの詩の載っているレコード?をプレゼントしにやって来る。
二人で暫く散歩し、UFOを呼び出そうと念じた後、、、
サイバーパンクSFの旗手ウイリアム・ギブソン(おお、ニューロマンサー)の詩を最後に朗読するのだが、二人で読むものだからよく聴き取れなかった、、、が以下の辺は掴めた。というか、これは!と思ったところから詩が捉えられた。
・・・・・・・・
僕らは現場担当者になった
格子を解読しようとした
相転移して新たな配置になるために
深い亀裂をパトロールするために
流れをマップするために
落ち葉を見るがいい
涸れた噴水をめぐること
平坦な戦場で 僕らが生き延びること
・・・・・・・・・
”平坦な戦場で 僕らが生き延びること”、、、コンテンポラリーなポップアートのテーマにも重なる。
(村上隆の提唱した「スーパーフラット」は特に有名である)。
この深みと階層性のないフラットフィールドの空虚な消費社会において、「わたしは生きたい」(若草ハルナ )という本来の欲求を果たすには、一郎君の「ヴァルネラビリティ」全開の、繊細で真摯な姿勢こそが有効だと思う。
時折、痛いには痛いが。
相転換はいつも突然やって来る。

原作のセンスがきっと映画にも反映しているのだと想う。
あの絵を主人公たちはかなり体現していたと思うし、上手く映画の形式に落とし込めているところが多いのではないか。
吉川こずえなどまさに、である。非常に魅力的な存在となっている。
このSUMIREという人、浅野忠信とCHARAの間の娘ではないか、、、やはり違うね。
それぞれ嗜癖のはっきりした登場人物でメリハリがあった。
二階堂ふみの繊細で素直な体当たり演技は新鮮で瑞々しかった。
原作を是非読みたいが、恐らくもう少しトワイライトゾーンがしっかり描かれていたのでは。
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