父親たちの星条旗

Flags of Our Fathers
2006年
アメリカ
クリント・イーストウッド監督・製作
ウィリアム・ブロイレス・Jr・ポール・ハギス脚本
ジェームズ・ブラッドリー・ロン・パワーズ『硫黄島の星条旗』原作
ライアン・フィリップ 、、、ジョン・“ドク”・ブラッドリー(衛生兵)
ジェシー・ブラッドフォード 、、、レイニー・ギャグノン(伝令)
アダム・ビーチ 、、、アイラ・ヘイズ(先住民出身海兵隊員)
ジェイミー・ベル 、、、ラルフ・“イギー”・イグナトウスキー
バリー・ペッパー 、、、マイク・ストランク
ポール・ウォーカー 、、、ハンク・ハンセン
ジョン・ベンジャミン・ヒッキー キース・、、、ビーチ
この映画は、地獄の戦場と帰国し英雄としてセレモニーをしてまわるふたつの場の対比が描かれる。
硫黄島の摺鉢山頂上に星条旗を掲げた6人の兵士(特に戦死しなかった3人)のその後を追ってゆく。
アメリカも資金難で青息吐息であった。
そこに国民の戦意を高揚する格好のメディア~写真が現れる。「硫黄島の星条旗」はセンセーショナルであった。
プロパガンダの為に戦場を離れ帰国させられた3人は写真で英雄となった知名度に乗って戦時国債キャンペーンをして回ることになる。
政府(財務省)の金集めの為に欺瞞に充ちた意に添わぬパフォーマンスを強いられる。
マスコミは殺到し様々な人々から声を掛けられ、次々に社長やら実業家から名刺を渡される。
誰からも英雄扱いである。
(写真とそれにつき纏う意味の力は実に大きい)。

その波に乗り生きて帰れてラッキーだぜという風情なのは現場では伝令をやっていたレイニーくらいであった。
彼は嬉々としてマイクの前で国債を買ってもらう必要性を説く。ヒーローは戦地で命を落とした者だ。彼らの為にご協力お願いしますと、、、。拍手喝采である。
彼はすぐに恋人ができ結婚をする。
ドクとアイラはこの巡業生活には馴染めない。所属も財務省になってしまった。
妙なハリボテ山にわざとらしく登りそこに国旗を掲揚して民衆に挨拶する、そんなセレモニーがいつまでも続く。
ドクとアイラのように戦場で命がけで闘った者にとって、政治家やマスコミ、実業家から一般大衆のヒーロー~偶像扱いが耐えられない。
アイラの言うように、ヒーローは国の都合で作られるものであり、戦争などの殺戮行為を正当化する為のものだ。わたしは国を守る為に戦場に行ったが、そこではただ友の為に闘っただけだ。
実際彼は一兵卒で闘い抜いた男であった。
特にアイラのような先住民出身者は、これが自分たちの部族に対して何らかの益になればという一縷の望みも抱いていたが、全くそのような事態には至らなかった。逆に自分の部族からも距離が生じ彼は何処にも居場所がなくなって行く。
彼はアルコールに依存しセレモニーにしっかり参加できなくなり、上層部から怒りを買い戦地に戻される。
しかしそれは彼が切に願っていたことであった(最初彼は国旗掲揚メンバーであったことを秘密にしてこの騒ぎから逃れようとしていたがレイニーが彼の名を出してしまい参加を強いられたのだった)。
二次大戦で最も過酷な戦地と言われた硫黄島であっても、ある意味純化された人間性は生きていた。
いやここでこそ、である。
アイラだけでなく、これは負傷兵の為に我が身を顧みず闘ったドクにも謂えることである。
高齢のドクのいよいよ旅立とうというベッドで回想された光景は何とも美しく幸せな友との海水浴でのことであった。
摺鉢山国旗を掲揚後、暫く水辺で遊ぶことを許されたひと時であったが、そこに全てが反映していたかも知れない。
戦地がただの忌わしい地獄ではないのだ。
あの利用された写真は家庭にあっても見向きもせず話もしなかったというが、最期に息子に友と泳いだ光景は語る。
極限状態にあってこそ知ることのできる純粋な繋がり~高揚。
死の縁に在って、誤魔化しのない命のやりとりのなかでだけ実感できる生が、友情が初めて味わえた場であったか。
、、、つい坂口安吾を想ってしまう。
アイラは除隊して帰国後も例の写真のヒーローであることから逃れられず逃げ回りながらもアルコール漬けとなり、ついにある朝路上で死体で発見される。30歳であった。アルコールの過剰摂取であるという。
真面目で純粋で繊細な精神にとって、戦時における苛烈な戦場と戦果を貪る国内とでどちらが生きられる時間がたもてるのか。
皮肉なものだが、すぐに自分の立場に順応したレイニーは、盛んに持て囃された時のコネクションを利用して職を探したが、戦後となると誰も過去のヒーローである彼を拾ってくれる者はなかったようだ。

昨日の「硫黄島からの手紙」と合わせて観て、結局戦争とは、国家に翻弄されて命を落とすことであろう。
例え生きながらえても浸食され続ける。
国家権力が日常の地平に異様にせり出して来たらおしまいである。
(平和とは国という概念を忘れていても生きていける状態である)。