スリー・ビルボード

Three Billboards Outside Ebbing, Missouri
2017年
アメリカ・イギリス
マーティン・マクドナー監督・脚本
カーター・バーウェル音楽
フランシス・マクドーマンド 、、、ミルドレッド・ヘイズ
ウディ・ハレルソン 、、、ウィロビー(警察署長、末期癌)
サム・ロックウェル 、、、ディクソン(巡査)
アビー・コーニッシュ 、、、アン(ウィロビーの妻)
ジョン・ホークス 、、、チャーリー(ミルドレッドの前夫)
ピーター・ディンクレイジ 、、、ジェームズ(ミルドレッドの協力者、好意を抱く)
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ 、、、レッド(広告代理店の経営者)
ルーカス・ヘッジズ 、、、ロビー・ヘイズ(ミルドレッドの息子)
ケリー・コンドン 、、、パメラ(広告代理店の事務員)
クラーク・ピーターズ、、、アバークロンビー(自殺したウィロビーの後任署長)
「ミズーリ州エビングの三つの野外広告看板」
素晴らしい。
邦題も簡潔で良いと思う。
これは傑作である。秀逸な脚本だ。最後は唸ってしまった、、、。
昨日見た哀しいほどチャチな噺とはかけ離れた出来具合である。
南部特有のレイシストが出て来る。警察署にも多い。
街は差別だけでなく、あらゆる面で殺伐としており、憎悪に渦巻いている。
その憎悪をどこに、何に向けるか、が最後の焦点となって行くところが実に見事である。
殺伐とした情景のなかに忽然と三つの看板が現れる。
「娘はレイプされて焼き殺された」、「未だに犯人が捕まらない」、「どうして、ウィロビー署長?」
と並ぶ。
それらは深夜にあっても照明でクッキリ目立つ。虚空に向けたメッセージのようで美しい。
これには警察も地元の住民もTV局も戸惑い驚く。
娘アンジェラが無残に殺されて7か月経っても一向に捜査が進まない。
これに業を煮やした母親が行動に出たのだ。
警察は一体何をやっているのか。相変わらず黒人をリンチしているだけなのか、と怒りをあらわにする。
しかし、これで捜査が急に進展する訳はない。
ある意味、敵を作るだけであることは百も承知であろうがそれ以外の選択がなかったのだ。
それだけギリギリの生を生きているのである。

また端から犯人が捜査でスッキリ見つかるような噺ではないことが分かる。
その雰囲気から。光景から。
別に犯人がどこかで見つかろうが、それで決着したり重要な意味を持つ映画でないことは直ぐに察する。
孤立無援を全く恐れないミルドレッドには深く共感する。
闘う時には闘うしかない。ブレてはならない。これは鉄則である。ただ何に対して闘っているのか、、、。
もっと言えば、何を求めているのか、、、。
彼女は自分を支えようとしてくれる献身的なジェームズには酷く冷たく当たる(好意が潜むことに嫌悪感を抱いているのか。つまり単にタイプではないのだ。その辺からも自分にとことん正直である)。
ウィロビー署長はこの胸糞悪い街にあっては、珍しい人間味のある人である。
事件に同情する人はいても、ウィロビーを追い詰めるようなやり方に街の人間だけでなく息子までもが反発する。
特に甚だしい憎悪の念と対抗心を抱いたのは部下のディクソンであり、ミルドレッドへの露骨な嫌がらせと看板の放火までしでかす。
そして看板をミルドレッドに貸している業者のレッドにも暴力を働き、大けがを負わせてしまうが何ら悪びれる様子もない。
だがミルドレッドの方も夜、警察署にディクソンがいる事を確認したうえで火炎瓶を投げ込み彼に大やけどを負わせる。
凄まじく生々しい憎悪のぶつけ合いだ。しかしこれは中途半端には出来ない。

看板の来月のレンタル料をウィロビーが匿名で建て替えて自殺する。
彼は死ぬ前に自分の周囲の人々に遺書を残す。
もっとも大きな力として働いたのはディクソンに対してであろう。
彼はアンジェラの捜査資料を守って、火だるまになって警察署から外に転げ出た。
彼は遺書を読んでいて逃げ遅れるが、そこから大きく変わって行く。
入院した病院では、隣のベッドが未だ痛々しい怪我を負ったレッドであった。
全身包帯のディクソンは彼に謝り過ちを悔いる。しかしレッドは酷く動揺しつつも彼にオレンジジュースを差し出す。
いや、全てが繊細に周到に物語の展開に絡んでゆく。
窓のさんでひっくり返っている虫、直した看板の元に花を活けていたら現れた鹿、ウィロビーが自殺するときに立ち会う馬たち。
人間同士のやり取りでは現れない素直な感情が露わになり、その人間の本質が垣間見られる。
勿論、何気ない会話のなかに、相手を大きく揺り動かす契機も潜む。
アンのウィロビーに語るオスカーワイルドの言葉(ホントか?)、ほんの小娘だと思っていた前夫の19歳の娘のレストランでの言葉、「憎しみは憎しみしか生まないって」ミルドレッドは彼女を認める。
そしてウィロビーの遺書を読んだあたりから主人公たちには変化が現れている。
ディクソンが暴力沙汰で警官をクビになってから酒場で呑んでいると隣の席の男が仲間にアンジェラ事件に酷似した内容の犯罪行為を得々と自慢話しているのだった。
ディクソンはその男に絡みワザと殴られ顔を引っ掻いてDNAを採取する。
その男の車のナンバーで住所も特定する。
しかしそれを署で調べてもらうと、アンジェラ事件の時には男は従軍してアメリカにはいなかったアリバイが判明した。
その一件をディクソンはミルドレッドに打ち明け、ふたりは和解する。
ついでに署を放火したことを告白するが彼は全く驚かず、「あんたしかやるやつはいないだろ」と返す。
そして、そのアンジェラの殺害犯ではないその男のところに銃を持って車で向かう。
その男を撃つかどうか「道すがらきめよう」と申し合わせて、、、。

これ程見事な噺は最近、観たことがない。
フランシス・マクドーマンド主演の傑作、「ファーゴ」を上回る作品であった。
ある意味、サム・ロックウェルの変化がこの映画をとても自然で説得力あるものにしていた。
大変な熱量で、夏バテも意識せずに観ることが出来た(笑。
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