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大砂塵

Johnny Guitar

Johnny Guitar
1954年
アメリカ

ニコラス・レイ監督
フィリップ・ヨーダン脚本

スターリング・ヘイドン 、、、ジョニー・ギター
ジョーン・クロフォード 、、、ヴィエンナ
スコット・ブラディ 、、、ダンシング・キッド
マーセデス・マッケンブリッジ 、、、エマ・スモール
ウォード・ボンド 、、、ジョン・マッキーバー
ベン・クーパー 、、、ターキー・ラルストン


これはゴダールやジム・ジャームッシュから絶大の評価を得ている映画であり、ニコラス・レイは「理由なき反抗 」の監督でもある。
この映画は前から観てみたいと思っていた。
(ちなみにゴダールが最も影響を受けた監督は溝口だそうだ)。
BSに入って来たのがタイミングよかった。

小林旭主演の『渡り鳥シリーズ』で彼のギター姿は、ここから来ているらしい。
(とは言え、わたしはそのシリーズ一度も見たことはない。だがその姿は何かで観て知っている。そんな記憶は少なからずあるものだ)。

さて変わった西部劇である。
鉄道建設の為のダイナマイト鳴り響く中、、、
赤と緑の補色が鮮やかな洒落た酒場にギターを持った渡り鳥が入って来る。

ピストルを持たない理由を聞かれると「西部一の早撃ちでもないからな」と答え、西部劇のフォーマットからのズレを感じさせて行く。
彼が何とも凄腕のガンマン(かつて相当人を撃ち殺してきている)らしいのだが、ギターを弾いてへらへらしていてほとんど活躍しない。
ほとんどの場面で傍観者を決めている。時折条件反射的に昔の早撃ちの癖が出たりするちょっと病的な男だ。
ダンシング・キッドというこれまた腕の立ちそうな、グループを率いる流れ者の親分も見せ場が全くないまま撃たれて死ぬ。
かなりの乱暴者に見えたが、ダンスが上手く意外に人も良く、そのお陰で死ぬことにもなる。
そして二人とも酒場の女主人ヴィエンナを愛していた。
如何にも胆のすわった気の強そうな女である。

無慈悲に銃を撃って人を殺すのはエマであり、彼女を最後に撃ち殺すのがヴィエンナである。
この二人の気の強い因縁を抱えた一筋縄ではゆかない女性同士の対立を軸に噺が展開して行く。
周りの男たちは皆、二人の女性に振り回され従っているだけである。
しかしエマという女のヴィエンナに対する怨念はヒステリックで凄まじい。
(こんな女は見たことはあるが)。

街に鉄道を引く推進派のヴィエンナに対しエマは街が東部からの移住者たちに浸食される可能性を訴えたり、キッドのしでかした銀行強盗を手助けした仲間であると合理的な理屈をつけてヴィエンナを処刑しようとしていたが、結局キッドに恋心を抱いているにも拘らず、彼がヴィエンナに夢中であることがもっとも気に障るのだ。
その為、兄殺しを罪をキッドに着せ、彼の御執心の他所から来たヴィエンナ共々葬ろうという魂胆なのである。
エマは、どうやら街の名士で金持ちでもあり、誰もが彼女には歯向かえず何でも思いのままになっている。
しかし手に入らないもの~自由にならないものは殺してしまえ、という発想しかもたない。

エマは権力にものを言わせ、法を重視する保安官やヴィエンナを守り異議を唱える雇われ人をいともたやすく殺し、数にモノを言わせヴィエンナを捉え彼女の酒場に火を放つ。かなりの狂気の危ない表情を見せる。
ジョニー・ギターはこの事件の間、どこで呑気にしているのか不在である。
そんな女に良いように操られ街の男どもが手足となって言いなりに動く。
女に命令され集団では動くが、個人的な責任は負うような処刑の段となると役目から逃げてゆく。
ここに出て来る男は皆、どこまでも不甲斐ない。正義漢も全くない。
これほど女性に主導権があり、凄腕風のガンマンが何もしないという西部劇も初めて見た。

ジョニー・ギターは最低限の働きとも謂える、処刑の首をくくる紐を切り、すんでのところで彼女は助ける。
だが、最後も女性二人の決闘という形で幕が閉じる。
エマに付いて来た男どもは彼女が殺されるとスゴスゴと立ち去って行く。
一体お前ら何しに来たんだ、という感じである。


しかしわたしも実生活において、既視感を覚える雰囲気の場面はあった。
西部劇のストレートさが無く、なんともシラケたズレと過剰な悪意のなせる光景。
何度も経験している。


面白い立ち位置の映画だ。



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