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現実の希薄さから謂えること

Kafka.jpg

閉塞的で薄い現実が日常的であると、ひとは(わたしは、と謂うべきか)内面化する。
すると以前は、そうシュルレアリスムに興味を持った学生の頃など、「夢」、「狂気」、「未開」に憧れてしまう時期があった。
単なるナイーブなロマンに過ぎないのだが。

狂気や未開に縋るにも接点が見いだせないため取り敢えず、夢に頼ってみた。
(シュルレアリスムにはこの手法が多く使われている)。
夢日記をつけ出すと妙に夢を起きた後も記憶しているようになる。だがすぐ分かることだが、それを思い返しながら書いてゆくと、そこには曖昧なディテールなど一切ない。
荒唐無稽なオドロオドロしい幻想などもっての外。余りに整然とした精緻な世界しかないのだ。
まさにカフカの小説そのものであった。
残酷な程、似ていた。

夢とは、軟弱なロマンなど決然として受け付けない稠密なディテールのみの世界である。
そこには付け入る隙もない。
自由がないからだ。
これが決定的である。
だからカフカの小説が絶対的価値を持つのだ。

恐らく、狂気や未開も同様に表現などで迫れる世界ではない。
距離を持って憧れても詰まらぬロマン主義の垂れ流しにしかならない(その手のものは少なくない)。
詩人のアントナン・アルトー(劇作家、思想家でもある)や薬を使ってその状態を探ったアンリ・ミショー、何人かの神秘主義者(アレイスター・クローリー等)、人類学者カルロス・カスタネダが極めて実験的にその世界に迫ってはいるが、何れにせよ対象化して理知的にそれを捉えられるはずはない。
ギリギリ高度な詩的世界に定着するか幻覚時のやはり詩的な記述等になる。
(これらは大変魅力的で啓発的なものであるが、それを読んでこちらが追体験出来るような代物ではない)。

未開~叉は初期についても、モネの強烈な希いが印象に残る。
睡蓮の連作を始めて「ずっと盲目でいて今初めて目が見えたらどれだけよいか」(正確ではないが、こんなことを漏らしていたという)。
以前のパラダイムには絶対に(原理的に)戻れない。また身体的~生理的獲得においても同様に。
知ってしまってから、知らなかった状態を体験することは不可能だ。
言語を獲得してからそれを忘れることは出来ない。
ことばは身体化して保存されるものである。
「盟神探湯」(くがたち)なども恐らくその時代であれば、有効であったのではないか。
だが今やったら皆、どうあがいても大火傷に終わるだけである。
大火傷を負ってしまう人間は最早、未開を知ることは出来ない。
(もし何かの間違いで未開を知ってしまったなら、すでにそれをわれわれに知らせる術はない状況であることを意味する)。


何をグダグダ言っているのか、、、。
要するに、内面化して良いことは全くない、という事である。
いや、内面化してもカフカのような筆力で徹底したリアリズムにより現実界を遥かに凌ぐ現実界を描き出せれば、それは救われるはずだが。そう、きっと彼はその行為によって救われていたのだと思われる。
彼は出来上がった小説をマックス・ブロートらの前で大笑いしながら読んで聴かせたという。
内容はもうあっけらかんとした絶望しかない精緻な世界ではあるが。
ただし、強力なガジェットなしで内面化の中に沈み込んでしまうと、もうアリ地獄以外に言いようのない状況となる。

結局人は健康が一番、と言う訳ではないが(笑、現実の中に確かな手応えのひとつもなくなると極めて危なくなる。
それを創作の根拠にしようなどと想うと、詰まらぬイメージの垂れ流しにもなりかねない。
確かな他者が現実に必要である。
カルロス・カスタネダにおける(ヤキ・インディアンの)ドンファンのような導き手なら言うことないが、、、。




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