サリュート7

Салют-7/Salyut 7
2016年
ロシア
クリム・シペンコ監督・脚本
ルボフ・アクショノーバ、、、ウラジミール(退役パイロット)
イリヤ・アンドリューコフ、、、ビクトル(技師)
アレクサンドル・サモイレンコ、、、ザーリャ(管制官)
空前絶後。
凄まじい衝撃の映画であった。
しかも美しい。
無慈悲である宇宙の自然の法則の美しさ。
暗黒と鋭い光。強烈な暑さと寒さ。
そして人知を超えた神秘の現象。
脚色がどうであるかは知らぬが、凄まじい事態が発生しこんなギリギリの選択をしていたなんて全く知らなかった。
サリュート7のトラブルは何かで読んだことはあるが、その平板な記述からは想像も出来ない事実~物語があったのだ。
「アポロ13」が霞んで見えるくらいにヘビーな極限状況である。
このミッションは最初から極限的で絶望的なものであった。

機能全停止で漂流を始めた制御不能のサリュート7への神業のような手動によるドッキングから始まる。
現役の選りすぐりの飛行士達のシュミレーションでは全員が失敗していた。
相手は素早く回転しつつ飛んでもない速度で飛んでいるのだ。
そこで今は後進の指導に当たり現役を退いているウラジミールに白羽の矢が立った。
最初から一か八かの賭けと言ってもよい、極めて危険な任務であることは誰の目にも明らかであった。
ソユーズT-13で宇宙にまた飛び立つことを知らされ怒る妻。その気持ちがとても沁みるように分かる。
水は宇宙空間において貴重なものであるが、同時に如何に恐ろしいものであるか。
サリュート7は氷が内壁に厚くこびり付く冷蔵庫の中であった。
やがて氷が無数の水滴となって煌めき浮かぶ幻想的な美しさは、精密機器にとっては命取りの爆弾でもあった。
火災を引き起こし回路を皆焼き切ってしまう事故にもつながる。
CPUまで完全にお陀仏となった。
水の処理に加え、何よりバッテリー~電気である。、
電気の供給が切れると人は凍え、酸素も失ってゆく、、、。
次から次へと彼らに困難が襲い掛かり、努力と経験に培われた知恵で切り抜けてゆくが、作業ですでに酸素を消費しすぎていた。
サリュート7の機能さえ戻ればよいのだが、もはや太陽電池パネルを修理する船外活動に望みは持てなかった。
最後に酸素が足りなくなり、一人しか地球に戻せないという決定が下る。
(通常船長は船に残るものだ)。

まさに人間ドラマの究極をここに観た感がある。
ステーション内での飛行士の葛藤、管制官と政府の役人との対立、飛行士を見守る家族(妻と娘)の悲痛、人間に対する宇宙という自然の冷酷さ、米ソ冷戦下での宇宙開発機密情報を巡る(人命より優先される)駆け引き、、、。
生と死の極点において、どういう判断を下すか。
ヒトにとって、何の誤魔化しも効かない正念場である。
終盤それもラスト25分前からは、筆舌に尽くせない時間であった。
こんな強度でラストに雪崩れ込む映画は観たことが無い。

危険性を想定していたのなら、何故最初からサリュート7を撃ち落としていなかったのかという怒りも込み上げて来た。
結局、限界を超えた作業を強いた末、任務を放棄させて一人だけ救い(酸素の残量から)、技術のアメリカへの流出を防ぐ為、船長諸共ステーションを撃墜するというのだ。
アメリカに技術を奪われないために?
スペースシャトルも時を同じくして打ち上げられたのだ。
(今であれば協力による救出作戦も可能であっただろう。体制とは実に厄介なものだ)。
飛行士も最初からその状況の困難さ過酷さの予測はついていたはず。
妻の不吉な夢を電話で事前に聞いてもいる。
しかし彼らは宇宙に魅せられているのだ。
もはや理屈ではない。
乞われればどれだけ大事な家族がいようとも彼らは飛んでゆくのだ。
(如何にウラジミールが退役していても、長い宇宙生活が彼を支配しているか。序盤でグラスをベランダから落としてしまい、妻に「ここでは物は下に落ちるのよ、早く慣れてね」と言われるところでも分かる)。

「パパいつ戻って来るの?」
「まだパパは、お仕事がたくさん残っているんだ、、、」
一度は死を覚悟したウラジーミルであったが、彼らはふたりで生還することを選ぶ!
この絶望的状況に置かれながら「あなた、必ず帰って来て」という、奥さんからの力強いメッセージで彼のこころも変わったのかも知れない。
科学的演算、検証、推測を超えて、人の意志が不可能の事態を打開するのだ。
太陽電池パネルを露出させるためのふたりの最後の船外活動が再開する。
それに同期する彼らを何としても救いたい管制官のザーリャの祈りにも等しい、(急遽作らせた)実物大模型に彼らと同じようにハンマーを振るう姿(これもシュミレーションか)。
恐らくこれは本質的に祈りであろう。

太陽電池パネルを隠していた金属の残骸を執拗に叩いて(ザーリャも同様に地球で叩いて)諦めかけたときについにハンマーでたたき壊すと、忽然とパネルが現れ登って来た太陽に即座に反応し大きなパネルが作動を始める。
ステーションに電気が戻り、音楽が突然鳴り響く。その間の抜けた音楽が如何にも現実~リアルさを醸していた。
ここで荘厳な音楽が静かに鳴り出せば感動は誘うに違いないが、何やら胡散臭くなってくる。
こういう調子の外れた感じこそが自然~現実なのだと思う。
この微妙さも含め全てが緊張を極め、素晴らしかった。
ウラジミールはかつての宇宙飛行で「光」を観ていた。
物理法則では説明できない神秘の光を、、、。
それは天使と言い換えてもよいものであった。
九死に一生を得たこの時も、その青い光を今度はふたりでまざまざと観る。
間違いなく、それを観たのだ。
「光」は彼らを包み込む、、、。
彼らの世界観に決定的影響を及ぼしたかも知れない。

彼らが船外活動を終えたときに、スペースシャトルが静かにサリュートの傍にやって来て、中の飛行士が敬礼する。
アメリカのメディアもソ連の二人の飛行士を英雄として讃える。
果たしてアメリカをあれ程警戒する必要があったのか?
キャストも2人の飛行士をはじめ申し分なかったが、特に管制官のザーリャの苦悶する真に迫る演技には圧倒された。
実際のトラブルがどれ程で、脚色がどのくらいのものかなど、全く関係ない。
映画として極めてリアリティに充ちた大傑作であった。
一つだけ、エンドロールに流れる歌は何とかならなかったか、、、(残。