Time

いまごろ出番のはずなのに。
David Bowieのアルバム”Aladdin Sane”にあった”Time"をtitleにしてます。
とは言え、David Bowieの話でもこの曲について書くわけでもありません。
”時間”で思い当たったことを覚書として書いておきたいということで。
ひとつだけ挙げておきたいのは、私の敬愛するSF作家、JGバラードのものです。
バラードはある意味、一貫して時間の問題を主題に或いは根底に据えて小説を書いていたと思います。
特に初期は。
顕著に現れるのは、「沈んだ世界」「燃える世界」「結晶世界」の長編3部作と「時の風」のような短編でしょうか。
彼によれば、線状的(リニア)な時間は、同時的な連続体である世界に我々の与えたひとつの遠近法に過ぎない。ただ膨大な出来事の系を分類して貯蔵するためにつくりあげたものだ、ということです。
すべては同時に起こっている。宇宙のすべてのことは、一時に起きてしまった。
こう書いている文が正に線状的(リニア)構造(制度)です。
言語を持たない生命体にとって世界・時間とは、という問いはそもそも意味がない。
原生的疎外に対する純粋疎外の次元が言語なしに成立し得ないことからも。
自己対象化つまり心についての心が生じなければ、その有り様を描写できない。
それが可能となる、つまり自然から疎外されることで、幻想にとりこまれる。
言語により時空間に遠近法を張り巡らす人間とは何なのか?
等質時間と等質空間の檻中で。
強度な共同幻想。
エッシャーの無限階段のなかの囚人のように。
これこそ人間の人間たる極み。
(とは言え、驚異だがバラードのように言語・論理によりそのことを析出してしまうヒトもいる)
「結晶世界」の稠密な郷愁。
遠い銀河の果てで、物質と反物質がぶつかり合い大爆発が起き、全宇宙から時間のストックがなくなって、ありとあらゆるものが結晶化してゆく世界。
何故、今までにこの小説が映画化されてないのか?
アラン・ロブグリエの「去年マリエンバートで」も映画化されているのに。
創れる監督がいないか?
リドリー・スコットでは?
いまごろ出番のはずなのに。

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