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オーケストラ!

Le Concert001

Le Concert
2009年
フランス

ラデュ・ミヘイレアニュ監督・脚本
アラン=ミシェル・ブラン、マシュー・ロビンス脚本
アルマン・アマール音楽
ヴァイオリン協奏曲 (チャイコフスキー)
その他クラシックの名曲がたくさん、、、。一杯あり過ぎて出て来ない、、、。

アレクセイ・グシュコブ、、、アンドレイ・フィリポフ(天才指揮者)
メラニー・ロラン、、、アンヌ=マリー・ジャケ(名バイオリニスト)
ドミトリー・ナザロフ、、、サーシャ・グロスマン(アンドレイの親友、チェロ奏者)
フランソワ・ベルレアン、、、オリヴィエ・デュプレシス(シャトレ座オーナー)
ミュウ=ミュウ、、、ギレーヌ・ドゥ・ラ・リヴィエール(アンヌ=マリーのマネージャー、育ての親)
ヴァレリー・バリノフ、、、イヴァン・ガヴリーロフ(共産主義者、臨時マネージャー)
アンナ・カメンコヴァ、、、イリーナ・フィリポフ(アンドレイの妻)


いろいろと想いの込み上げてくる映画であった。
チャイコフスキー自身がとてもマイノリティに対して理解の深い人物であった。
その為、この映画のテーマにチャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」が据えられているのは納得である。
(わたしもチャイコフスキーは大好きだ。「弦楽セレナード」はよく聴いた。「猫の民子」のCMでも泣いたものだ(爆)。


ロシア・ボリショイ交響楽団で主席指揮者を務めていたアンドレイ・フィリポフは30年前、ブレジネフ政権下ユダヤ人演奏家の排斥に従わなかった為解雇され、ボリショイ劇場の清掃員になって呑んだくれになっていた。他の楽団員たちも音楽の生活から追われて散り散りになってしまう。
或る時アンドレイは偶然にサンフランシスコ交響楽団が演奏をキャンセルした為、パリのシャトレ座で代わりの楽団を探している情報をファックスを盗み読みして知ることとなる。

そこで彼は奇想天外な策略を思いつく。
昔の仲間を探し出して楽団を再結成し、パリにボリショイ成済まし楽団として乗り込み、奇跡の復活を狙うというのだ。
それを奥さんが大乗り気で後押ししてれたのも、実に心強い。良い奥さんで感動した。

因縁のチャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」の演奏によって蘇るのだ!
かつてコンサートでその曲の演奏中に政府の横槍が入り中断され(タクトが折られ)、ユダヤ人の名演奏家はシベリアに送られ命を落とす事にもなった。
彼はその曲に徹底的に拘り、その演奏で復活を遂げることを決意する。
更に彼にはある女性とパリで運命的な(29年越しの)再会を果たす目的があった。
ソリストに招いたスター女性バイオリニスト、アンヌ=マリー・ジャケである。

Le Concert003

だがいざ実行に移すにも30年のブランクにより、問題は山積であった。
まず散らばった仲間を見つけるのが大変なのだ。
これは「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」でもそうであった。(ライ・クーダが苦労していた)。
マネージャーを頼んだ男はかつてアンドレイの楽団を潰した共産党の張本人であったが、パリと聞いた途端やる気を漲らせる。
(フランスの共産党に接触を図る魂胆があった)。
マネージメントの腕は良いが、団員たちとの折り合いは悪い(当然ではあるが。KGBと言って彼を嫌う)。
ドタバタ騒ぎの連続であり、コメディタッチで所々で笑わせながら展開する。

かつての名演奏家達は皆、音楽を離れた生活を送っており、楽器すら手放した者もいた。
楽器が足りない。
金もない。
旅券を持っていない者も多い。
金を余計に支払って別ルートで旅券を60人分作る。
兎も角、資金問題が大変で、マフィアのような富豪の「ガス王」にも縋りつく。

やっとの思いでかき集めた全員をパリに連れてゆくが、解放感からかホテルに着くなりお金を貰って皆何処かに遊びに行ってしまう(笑。
この締まりのなさは、ロシア的なのか?
なかには、商売を始めてしまう父子もいる(この2人はコンサート本番にちょっと遅れて舞台に滑り込む)。
そして強面の急遽スポンサーになったロシアガス王が強引にコンサートの独占放映権を主張してくる。
放映権を巡ってまたイザコザである。これもロシア的か?
それをフランス陣営(シャトレ座)は、電波が大規模衛星により他の国に拾われてしまうこともあります。
それで音や画像が共有されても構いませんよね、で丸め込む。
放浪して全然戻ってこない団員に業を煮やしてデュプレシスは契約破棄をチラつかせて脅かすが、ロバのようなロシア人はこうして動かす、などと充分心得ている。こんなやり取りが続く。
しかもマネージャーの設定したレストラン(トゥル・ノルマン)のディナーに誰も姿を見せないというありさま。

あげくにリハーサルの日も参加する者がおらず、リハなしの、いきなり本番という運びとなる。
これにはパリのスター演奏家であるアンヌ=マリーは呆れ返り演奏に参加することを躊躇う。
彼女は夜のディナーでアンドレイから30年前のいきさつを途中まで聴く。
彼はレアというバイオリンの天才ソリストを見出し、チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」に究極のハーモニーを見出したことを告げる。しかし彼女がKGBに捕まったことまででその先は話さず仕舞いであった。
アンヌ=マリーは、わたしはレアの身代わりはできない。過去には誰も戻れないと言い、出演を断って去って行く。
アンドレイには、その先を語ることは出来なかった。

Le Concert002

アンドレイの親友グロスマンはギレーヌの家を探し、フランス語が苦手だが、何とか説得に務める。
彼女は、彼が思わず口にした演奏することで、最後に両親のことが分かると漏らしたその言葉に強く拘る。
しかし、それをグロスマンは彼女につぶさに語ることが出来ない。
ただ「言葉は裏切るが、音楽は今も美しい」とフランス語で語ってその場を立ち去る。

この映画は邦画によくある(アメリカ映画にもその気はある)、スポ根音楽映画(一生懸命練習して優勝をもぎ取る類のもの)とは全く次元の異なるものであることが分かる。

Le Concert005

育ての親で彼女の出生の秘密を知っているギレーヌに促され、アンヌ=マリーはコンサートに出演することにする。
両親の事が分かるという希も託して。

30年前、アンドレイたちのコンサートをぶち壊し、彼らから音楽を奪ったガヴリーロフがコンサート直前に会場にタクシーを飛ばしてやって来た(休暇でパリを訪れていた)現ボリショイ交響楽団オーナーを見つけ、他のビルに彼を誘導して閉じ込め、二度目のコンサートの中止を阻む。この功績は大きい(爆。
そしてガヴリーロフは、出だしに調子の乗らない演奏を聴いて、神がいるなら助けてくれと祈る。すると「神は確かにいた」というくらいに素晴らしい演奏になってゆく。
アンヌ=マリーのソロに絡み全ての音が美しく調和して昇まってゆくのだった、、、、。
楽団の誰もが彼女にかつてのレアを観ていた。目を潤ませて。
この終盤20分は圧巻の演奏であった。

アンドレイが指揮の最中に彼女にこころのなかで語り掛ける。
「あの話の続きをしよう。レアには6カ月の赤ん坊がいた。子供は何としても収容所に渡したくない為、彼らはその娘をギレーヌに託したのだ。」
最後に楽団のメンバーの彼女を見つめる目を通し彼女は全てを察知していた(いや直覚した、か)。
この重層的な流れが音楽の調和と共に大変感動的であった。

Le Concert004

結局、ここがチャンスとみたら、無謀なチャレンジと思える事でも、やってしまった方がよい、、、というメッセージにも受け取れる。
そういうものかもしれない(笑。

コミカルでギクシャクした流れから後半のハーモニーへと一気に駆けあがって行く手際は素晴らしかった。

キャストも皆、とても個性的でマイノリティたちの民族的な雰囲気もよく出ていた。
アレクセイ・グシュコブは天才指揮者(芸術家)の孤独と威厳を漂わせていて、このような役にピッタリの人に思える。
相棒のドミトリー・ナザロフも人間的な魅力に溢れた雰囲気をよく表現していた。

メラニー・ロランは有名女優であり監督でもあり歌手でもありモデルもやっていたことを知った(笑。
わたしが知らなかっただけであるが、これまでに恐らくどこかで(映画やメディアで)見てきたはずだ。
何となく覚えている。
だがそのなかでもこの役は極めて素敵な役であったと思う。
素晴らしかった。







演奏の最後の高まりの恍惚の中で、デュプレシスとその部下がウットリとキスをする場面が出て、ちょっとこの感動的なところでも遊ぶか?と演出を疑ったが、思えばチャイコフスキーも同性愛者であったというし~ホントにそうかどうか知らぬが~そこにも引っかけているのかとも思う。細かい演出だ(笑。

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