カレンダー
07 | 2018/08 | 09
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

モディリアーニ 真実の愛

Modigliani005.jpg  Modigliani003.jpg
            Amedeo Modigliani
Modigliani
2005年
アメリカ、フランス、ドイツ、ルーマニア、イギリス

ミック・デイヴィス監督・脚本

アンディ・ガルシア 、、、アメデオ・モディリアーニ
エルザ・ジルベルスタイン 、、、ジャンヌ・エビュテルヌ
イポリット・ジラルド 、、、モーリス・ユトリロ
オミッド・ジャリリ 、、、パブロ・ピカソ
エヴァ・ヘルツィゴヴァ 、、、オルガ
ウド・キア 、、、マックス・ジャコブ
ランス・ヘンリクセン 、、、フォスター・ケイン
ピーター・キャパルディ 、、、ジャン・コクトー
ミリアム・マーゴリーズ 、、、ガルトルード・スタイン
スージー・エイミー 、、、ベアトリス・ヘイスティングス


構図、色調全てが絵的に美しい。
アメリカ人の監督の為か、間違ってもフランス~イタリア的な質や雰囲気はない。
皆、マッチョな感じだ。芸術家たちというより自由自堕落で奔放なボヘミアンといった感じか、、、。

最初に、全ては自由に脚色されたフィクションだとことわっている。
それでよいと思う。
創作であるが、概ねこんな感じであっただろうな、とは推察する。
フィクションであることにより、極めて印象深くものの本質に迫ることの出来る場合も多い。
SFなどそこを基本形式とする。

モディリアーニがこれ程、無軌道でアル中でも友人たちに愛されていたのか。
ライバルのピカソからも。
モディリアーニとピカソはこんなに面白いやりとりをしていたのか。
この物語はモディリアーニとピカソの対立を通して描かれてゆく。
「わたしと君との違いは成功しているか、そうでないか」、だ。
まさにその通りだ。
そんな嫌味を言い合ったり喧嘩を売ったり買ったりしながらもふたりで車に乗ってルノワールに逢いに行ったりしている。
こんな奇妙な友情もあるだろう。お互いに相手の才能を深く認め合っているからだ。
何れにせよ、強烈な個性が他者に与える影響力というものを考えさせられる。
前提として何か確かなもの~作品を創造していることが肝心なことなのだ。
それが無ければ、彼らの集まりなど不良親父の集会にもならない。

貧困、肺結核、アルコール依存、薬物、不摂生、自堕落、奔放、傲慢、、、
単語だけで挙げてゆくと、単に困った人みたいになってしまうが、、、ジャン・コクトーやガルトルード・スタインが見守るこの共同体は面白いし憧れるところは大きい。

わたしも子育てしつつ、出来る範囲で自堕落に過ごしているが、限度はある。
早寝早起きは基本であり、子供と一緒に少なくとも朝食・夕食はしっかり栄養バランスを考えて食べなければならない。
掃除・洗濯は手早く済ませ、買い物は好きな方なので少し時間はかけるが、、、。
宿題やピアノの練習も監督して定時に寝かせたうえでのボヘミアン生活である。
ホントに気持ちだけボヘミアンを寝る前に試みている状況だ。
とは言えその時間帯にブログも書いているから、、、ほとんど普通の生活ではないか(怒。

Modigliani004.jpg
Gertrude Stein

しかし、他の破滅的天才画家の映画と比べ、どうも出て来る人々に芸術的繊細さや香りが感じられない。
ガルトルード・スタインが余りにわたしの印象と違い笑ってしまった。
ただの太った世話好きなおばちゃんかい。これは流石に「ミッドナイト・イン・パリ」のガルトルード・スタインの方が理知的だ。それにも不満はあるが、ここの彼女よりましだ。
ピカソも少し小太り成金過ぎはしないか、、、モディリアーニとの対比を強くするためか、、、。
モディリアーニは確かにイケメンであったが、若い頃のピカソも精悍な面立ちの男である。
兎も角、ガルトルード・スタインのサロンでの藝術談義や論争など少しはあってもよい。
ジャン・コクトーも折角出ているのだし(ここに彼がいなかったら不自然だ)。
その辺がまるでないというのも奇異な感じがする。
それからモディリアーニの彫刻である。この彫刻制作から彼独特の単純化された力強いフォルムが生成されている。
体力の問題もあり彫刻自体の制作からは離れるが、身近にもう少し彫刻の気配があってもよい。

後半モディリアーニとピカソが睨み合いながらコンペ参加の記名をするスリリングな場面など、西部劇だ。
その時の会場の拍手と歓声もやはり西部劇のそれだ、、、。
その後のスーチンやユトリロ、リベラ、展覧会に参加するたちの制作風景もまるでボクシングの練習みたいなノリだ。
ロッキーかい、と思わず言いたくなる。
何でこうなるのという感じもするが、監督がマッチョ派なのだろう。
フランスかイタリア映画ではまずこうはなるまい。
できれば、藤田嗣治も出して欲しかった。彼も大事な友達の一人である。

Modigliani001.jpg  Modigliani002.jpg
            Jeanne Hébuterne

妻のジャンヌがまさにモディリアーニの絵の女性そのものであった。
個性的であるが、とても美しかった。
よくこの女優を選んだと思う。
モディリアーニとジャンヌは確かに見た目はしっくりしていた。
後は監督・脚本であるが、この人の趣味の問題なのであろう。

では面白くなかったかと謂えば、不思議に残るもののある映画であった。
もしかしたらエルザ・ジルベルスタイン効果かも知れない。
「モディリアーニの絵」そのものなのだ。
そして終盤の場面~収束である。

展示会最後のピカソも絶賛した彼女の肖像に「瞳」が描かれていたのには、あのコンテクストにあって思わず感動してしまった。
彼の愛のかたちがそこに収斂したのだ。
この作品だけが厳密に謂えば「肖像画」であったかも知れない。
他の裸体像や瞳の無い像は、純粋に造形~フォルムを極める方向性しか持ち得ない。
ジャンヌはその絵に彼の「真実の愛」を観たのだ。


そう、何でも終わりが肝心なのである。
まさに「画竜点睛」以外の何ものでもない。
余りに悲しいエンディングとは謂え、、、。





関連記事

COMMENT

EDIT COMMENT

非公開コメント

プロフィール

GOMA28

Author:GOMA28
絵画や映画や音楽、写真、ITなどを入口に語ります。
基本的に、日々思うことを綴ってゆきます。悪しからず。
出来ればパソコン画面(PCビュー)でご覧ください。

*当サイトはリンクフリーです。

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文: