エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜

La Môme
2007年
フランス
オリヴィエ・ダアン監督
イザベル・ソベルマン脚本
マリオン・コティヤール 、、、エディット・ピアフ
シルヴィー・テステュー 、、、モモーヌ(悪友)
パスカル・グレゴリー 、、、ルイ・バリエ
エマニュエル・セニエ 、、、ティティーヌ(エディットを保護する娼婦)
ジャン=ポール・ルーヴ 、、、ルイ・ガション
ジェラール・ドパルデュー 、、、ルイ・ルプレ(名門クラブのオーナー)
クロチルド・クロ 、、、アネッタ
ジャン=ピエール・マルタンス 、、、マルセル・セルダン(プロボクサー、恋人)
カトリーヌ・アレグレ 、、、ルイーズ
マルク・バルベ 、、、レイモン・アッソ
カロリーヌ・シロル 、、、マレーネ・デートリッヒ
マノン・シュヴァリエ 、、、エディット・ピアフ(5歳)
ポリーヌ・ビュルレ 、、、エディット・ピアフ(10歳)
「インセプション」、「ミッドナイト・イン・パリ」、「コンテイジョン」、「たかが世界の終わり」、「 美しい妹」、、、
全てまったくイメージが異なる女性を演じているが、、、(「愛を綴る女」と「プロヴァンスの贈り物」も持っているので、近いうちに観たい)、、、このエディットピアフへの変貌ぶりは徹底している。「モンスター」のシャーリーズ・セロン(アカデミー主演女優賞)とはまた違うが、凄いものだ。
そう謂えば、ニコール・キッドマンもヴァージニア・ウルフ役「めぐりあう時間たち」で アカデミー主演女優賞であった。
3人ともえらく顔を変形して受賞している。パッと見ではその女優とは気づくまい。
そのままの(美しい)顔ではどうやらアカデミー賞は無理なのか、、、。
余計なことを思ってしまった。
「ブラック・スワン」のナタリー・ポートマンは、そのままの顔で受賞したことを思い出した。
(あれは、バレエで体の苦行がかなりあったはずだが、、、ともかく何処か無理をする必要はありそうだ)。
わたしは映画にもシャンソンにも疎いほうだが、ピアフは少し聴いた覚えはある。
恋多き女性とも聞いていたが、ここではいちいち皆を取り上げるようなことはしていない。
(すべて紹介していては冗長になるだけであろう)。

昨日の「美しい妹」がグランジなフレンチロックという感じであったが、これはフランスの国民的歌手の生涯を綴るシャンソンそのものの映画である。
「愛の讃歌」は日本人でも知らぬうちに幼いころから耳に馴染んでいるであろうピアフ作詞の名曲中の名曲だ。
(わたしは越路吹雪の歌で知らぬうちに聴いていた)。
何と謂ってもマリオン・コティヤールが若い時期(二十歳代)から死ぬ間際の歳まで違和感なく演技で表現しきっているところは特筆ものである。(「ラ・マルセイエーズ」を唄った子役もなかなか堂々とした演技であった)。
姿勢や所作の癖や難しい性格を非常に詳しく研究したことはよくわかるが、、、あの弱弱しさ、ぎこちなさ、猫背、マリオンの元の体格からは想像できない小柄振り、だがあの喜怒哀楽の激しさに熱唱(ピアフの音源)スタイル、、、ピアフが憑依したかのような鬼気迫る繊細な演技であった。

彼女の幼い時期と最盛期と晩年の各シーンが頻繁に交錯しながら進んでゆくが、内容的に自然な展開となっていた。
その記憶の接合でエモーショナルな流れが切断されることはなかった。
その構成は見事であった。
特にマルセルが死んでホテルの廊下を狂乱状態で這っていく地続きの先に観客の犇めく舞台が開かれていて(時間系~記憶が接続され)、そこでそのまま歌うことになるその残酷さは映像で彼女の宿命を雄弁に見せられたとしか言えない。

それにしても少女期の彼女の環境の凄まじさにはこころが痛んだ。
あの親の放任はありがちであるが、その為の虚弱体質であったかも知れない。
父が彼女が密かに惹かれた人形を知って或る夜プレゼントしてあげたことは、とても嬉しかった。
それくらいの救いがなくてはこちらも観てはいられない。
下町で放置されたり、売春宿に幼くして預けられたり、父に引き連れられ大道芸やサーカスで転々として生活したり、或る時お金を入れる帽子を胸に咄嗟に客の前で「ラ・マルセイエーズ」を唄ってブラボーの大合唱を受け、その時が彼女の歌手人生の始まり~芽生えとなったものか、、、。それから彼女の街頭での歌を聴き、彼女を導いてくれる存在に出会ってもゆく。
捨てる者ばかりではない、チャンスをくれる者も現れる。そして歌の才能で広く人々に認められ、確固たる知名度を得て昇りつめてゆくが、愛には恵まれない。漸く人生をかけて愛せる人が見つかり幸せを掴んだかと思った矢先、相手の乗る旅客機が墜落してしまう。
その後アルコールで痛めてきたからだが更に悪化し、モルヒネ中毒が進行して行く、、、。ステージで倒れ闘病生活となるも、病院にじっとしていられる性格ではない。
晩年、綺麗な砂浜で女性記者から10の質問を受け、一つ一つに極めて穏やかに丁寧に応えてゆく姿は、もうこの世の人を超脱したかのような風情に見えた、、、。
「愛しなさい。愛しなさい。愛しなさい、、、。」~このことばの重みが凄まじい。
悲劇と栄光の数奇な運命などと一言では表せない壮絶な人生に揺さぶられる。

コンサートの後でかのマレーネ・ディートリッヒが彼女の元に訪れ、緊張するピアフに対し「歌を聴いてしばし、私の心はパリへ旅をしました。あなたの歌にはパリの魂がある」と言われ満面の笑顔で喜んで、そのまま恋人のマルセルと車に乗って幸せを噛み締める姿がとても印象に残った。そのマルセルを失い、、、
「愛の讃歌」”Hymne à l'amour”がここで描かれた経緯で作られたというのなら、もう涙なしで聴くことは出来ない。
彼女は純粋に(教理的ではなく)神を崇め信じていた。
最後の頃のコンサートで、あの十字架が無ければ詠えないと強く訴えたことは確かに分かる。
彼女はふたりのマルセル~娘と唯一愛した恋人を失っている。
コンサートに臨んで、あの十字架~想いがこころの礎となっていたのだ。
「エディット・ピアフ」にどっぷり浸かってしまった気がする。
改めてみると、マリオン・コティヤールは見た目もなり切っていた。
映画を観てからこれを聴くとまた感無量である。
ちなみに最後に流れる曲は「水に流して」”Non, je ne regrette rien”
締めくくりにピッタリの曲であった、、、。
まさにピアフの人生の歌である(彼女自身もそう言っていた)。

いよいよ明日はSFを見るつもりだ(爆。
もう見限ったというなことを書いたが、、、。
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