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「労働疎外より人間疎外」によせて

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、、、、、、、、、

あらゆるものの物象化の時代
人間の個々の価値意識こそに
その解決の糸口が
潜んでいるものありましょう、、、

          「労働疎外より人間疎外」から終盤部分の引用。
        ”エストリルのクリスマスローズ”より。


最近、わたしがつくづく身に染みて感じていることを、いつもながら精緻に論理的に然も詩的にまとめ、指針も示して貰ているので、触発された勢いで、この機にわたしなりに本文に則して反芻しておきたいと感じた、、、。

わたしは、様々な物事に対し距離をもって批評する(俯瞰する)余裕が日頃ないため、いつもじたばたした記事にもあるように生活者として過ごすことが多い(またそれを強いられている)。しかし時には沈潜し遡行し、自分自身の方向性と今後の展望も考える間をもちたい。だがこれに再考の余地があるかどうか、、、。今日は幸か不幸か風邪でずっとベッドにいるので丁度良いところかも知れない。


貨幣(市場)経済によってすべてを平等に測れるものにしてしまったことで、物象化が世に徹底したものだと思う。
その、ものとしての取引や操作、評価は、そのまま人自身~その関係性を支配する構図として定着する。
それが単にシステム上~ことばにより取り決められるやいなや起源は忘却され(透明化され)システム上におけるそのものの価値が内在化し、あたかも本来もっている価値~本質であると信じ込んで疑わない倒錯が自明の状態となる。
共同体の規範(道徳や規律・規則)や認識枠~パラダイムとなる。

自然の流れから、膜構造をもって遅延した段階で自然(エントロピーの方向)から疎外された存在~生命としてわれわれは誕生した。やがてことばを持ちそのことばによって(いや文字をもって)純粋に疎外される(つまり自然を遮断し心的シュミレートを完全に行うことを可能にする)ひとの段階になる。そして記号~貨幣による市場社会において更に(決定的に)疎外される。その関係性によって外傷を受け(リビドーが)内面化することで内面と外界とを現出させる意識が発生し、風景も現れるに至る。
自然というより環界との親和性が極度に低下したことによる風景の現れと物象化~人間関係の希薄化~の極まりは同時(単なる)異なる側面であったか。


引用の最後のところ、「個人の価値意識にこそ解決の糸口が潜んでいる」というくだり、、、。
実際に、そこにしかないとしか言えない。
これまでも、これからも、、、。
そういうものだと思う。
わたしにとっては、個の系をひたすら垂直に伸ばしてゆくイメージでもあり、非常に孤独な闘いである。
(これまでもずっとそうしてきたが)

それに続く結びの「人生とは自己意識の発展プロセスそのもの」というヘーゲル的な一節。
(ヘーゲルの云う自己意識とは他者の承認を要する~前提とする~意識でもある)。
そして自らの価値意識を確認・強固にし拡張するうえでの「制作」~対象化はやはり不可避の行為となろう。
具体的な形態が必要だ。
ヘーゲルは、それを「労働」としていたか。(「主人と奴隷」において)。マルクスもしかり。


具体的な取り組み(労働)を進めよう。計画通りに。
(計画は遅々として進まぬが、、、)。
しかし地塗りは済ませている(爆。




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