クリムト

「接吻」
何故か、クリムトについて書いていなかったことに気付く、、、。
あの圧倒的な金と装飾性がヒトの生~性の余りの生々しさ(更に対比的な死)を過剰に強調しているかのようで、興味がありながらどこか敬遠して来た感もある。
クリムトには風景画が多い。
最近、気付いた。
しかしよく見るとその風景は恐らく彼の得意とする装飾的で象徴的な物語~構成である。
所謂、「風景」が出現していない時代ではないと思われる。
印象派の目前にはすでに恐るべき「風景」が現出していたではないか、、、。
恐らく彼にとっては風景も女性もあの塊~アマルガム調となったドラマチックな男女(老若男女)の絡む像も、同じ心象風景であったのだと思われる。
彼の内面世界(の投影)に違いない。
今回彼について書いてみようとしたところで、画集を見直して気付いたことである。
そう想うと風景も肖像も構成的物語像も等しく同じ次元の作品に感じられ腑に落ちる。
描き方も基本的に同じである。
金細工職人の息子に生まれ、工芸学校を出て、建築装飾の仕事に就く。
身に付けた(ルーツでもある)金の装飾技術を遺憾なく発揮した極めて構成的で装飾的な作品群。
象徴性に富むというよりそれをいやが上にも引寄せてしまう平面的世界の構築である。
(通常の奥行き・遠近法を締め出しているものが多いぶん、特異な象徴性~文学性は深まる)。
しかしそれはまた反面、通常の物語性を解体する視座の提示でもあったことは重要である。
それまで、主流の絵画で「愛」を語るには神話のフィギュア構成~物語上に描く事が自明であった。
そこからすると、奔放な性の奔流する(エロチシズム)の生々しさと過剰な装飾性(構成と共に金箔の多様な使用)の共存はそこからの衝撃的な逸脱であった。明らかに新たな絵の出現だ。
テーマの捉え方が内容的~意味においても形式的にも、センセーショナルであったと謂える。
金の箔の使い方が、やはり親譲りのものか、反射率の異なる箔の貼り方を駆使しており、人物の衣装に使われる部分は全体に思いっきり輝きが強く、背景の金は反射率の低いくすんだ金箔の地となっている。
日本画(琳派など特に多いか?)の技法も思わせるものである。

「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 II」
先日、日曜美術館で彼を取り上げていたのだが、そこでも腑に落ちたポイントがあった。
エミーリエ・フレーゲというミューズの存在である。
もっとも、彼には愛人が多く、アトリエには常に二桁のモデルがひしめいていて彼女らとの間に14人の子供がいたことは、この番組で知った。NHKも役に立つ。
その時代の先端を行くミューズが彼に大きな影響を与えていたようだ。
特にエミーリエは、まだ女性の地位と自立が然程認められていない時期に、実業家として活躍していたのである。
そうした(精神的・経済的に)自由な立場の女性との関係は、自らの芸術の解放に拍車をかけるに充分であっただろう。
もう一つ。コルセットで固めた身動きしにくそうな上流の女性のドレスをゆったりした動きの美しさにシフトしたドレスをデザインしたことである(これについては画集にも解説されていたが)。デザイナーとしてだけでなく、その写真も彼が撮ってファッション誌(その始まりらしい)という形に掲載したそうだ。
つまり新時代のファッションリーダーでもあったのだ(エミーリエとともに)。
静的な堅苦しい線のドレスから動きの美しさを狙ったドレスへの変貌は、女性の解放の形体をも意味したであろう。
実際、この時期は、ブルジョア新興勢力の台頭期である。
だから尚更、クリムトのような画家はもてはやされたはず。
美しく先進的で確固たる信念をもった女性にも大モテであった。
良い人生であったはず。恐らく(笑。
彼の着物みたいな不思議な衣服もきっと自らデザインした物だろうと合点した。
(以前からずっと気になっていたちょっと妙な感じの服であるが、確かに着やすそうで自由な感じはする(笑)。
しかし、第一次世界大戦の勃発により、華やかさは息を潜め、至る所に死の蔓延る混とんとした時代となる。
彼の、性~生が性~死に繋がるような晩年の「金」を封印した象徴性の高い絵が生まれてゆく。

「死と生」
番組で紹介されていた絵はそれぞれクリムトらしさをもっとも表しているものに思えた。
ベストチョイスに感じる。
番組としては皆が自分の趣味に惹き付け感想を述べあう井戸端会議みたいで、それはそれで面白かった。

「白樺の林」
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