ホドラー

わたしはスイスの画家、ホドラーについて、ほとんど知識はないが、気になる絵は幾つもある。
本棚の模様替え最中に数枚の絵を観て、これは明らかに自分の好きな画家に入ることを確認した。
わたしがホドラーに惹かれるところは、その身体性における共感度による。
どのテーマを扱っていても、それはリズムを顕にしており、反復(彼の謂うところのパラレリズム)がその強度を高めている。
それも心地よく。
ずばり「オイリュトミー(Eurythmy)」という絵があるが、彼の絵はまさにその”美しいリズム”によって構成される。
ルドルフ・シュタイナーの提唱したオイリュトミーは、言語や音楽のエネルギー(律動)を身体表現によって具象化するものであるが、ここでは心象・イメージのもつエネルギーが見事に絵画(形体の並行した連続・反復性と色)によって具象化されている。
つまり優し気で内省的な老人の並ぶこの「絵」のみならず、彼の絵全てが絵画版オイリュトミーとも謂える。
わたしが「昼Ⅲ」と共に最も好きな絵である。


それを意図的に打ち出した初期作「夜」からそのリズムは一貫しており、変貌するのは色彩~装飾性(単純さ)である。
人物であろうと風景であろうと、調和のとれたリズムが基調に静かに流れる。

これは巨大壁画である。
単純化と装飾性においても、ムンクに影響を与えたことが納得できる。

わたしは風景画は苦手で、人の絵(風景画)を観るのも苦手なのだが、ホドラーの風景には非常に惹かれる。
魅入ってしまう。
この物質性~身体性がたまらない。
彼の風景画には好きな作品が沢山ある。
セザンヌと共に、いつまでも魅入ってしまう「風景画」なのだ。
(勿論、ピサロやゴーギャンもとても素晴らしいのだが、明らかにその種の風景とは異なり、彼の心象というか身体性が心地よくリズムと共に単純化され表出されている)。
そして「青」が神秘的で純粋で美しい。
その特徴的な「青」に、黄色、(緑)、赤が構築性とリズムを際立たせるよう対比的に鮮やかに使われることが多い。

特に晩年の風景には、穏やかで静謐なリズム~永遠を感じる。
神話性を帯びても来る。
究極の風景。
ほとんど抽象に近い。
現代音楽(ミニマル・ミュージック )を観る想いだ。
(初めから抽象を狙ったものではなく、結果として自然に描かれた、そんな作為を感じぬ絵である)。
何と謂っても気持ちが良い。
快感なのだ。

久しぶりに清々しい安堵感にも浸った。
そして、、、恐らく自分で描くのが、もっとも健康的な気がして来る、、、。
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