キリコ

わたしが恐らく初めて観た彼の絵は、教科書に載っていた「通りの神秘と憂愁」だったと思う。
中学生になって観たものだ。
それ以来、キリコはわたしのなかで特別な場所を持つようになる。
5感を越えた現実を捉え見えるものにするのがシュルレアリズムであるなら、まさにそれかも知れない。
何処までも続くアーケード。
張り詰めた濃密な気配だけ漂う空間。
それはまた何か恐ろしい事件の残響。
少女の影だけが浮かび上がる不吉な時間。
いや、凍結した時間か。
真っ白に、思考の終了による事態。
キリコはイタリアの広場に憧れを持っていたという。
ルーツにあるギリシャ古代都市にイタリア広場の接続。
寂莫と不安の支配する空間。
哲学者同士の出逢う場。
どんより曇った空のもとでの何処から照らされるのか強烈に明るい温度を持たぬ光と幾何学的な影。
その不安は更に崩された幾つかの消失点をもつ遠近法により増幅される。
「形而上絵画」が極まったところで、パリではアンドレブルトン、アポリネールらのシュルレアリストたちから絶賛を浴びる。
だが、直ぐにスタイルを変え、彼らの元を去ってしまう。
キリコは古典絵画の技法の習得に向かう。
これはピカソにも例えてよい変貌であろうか。
ティツィアーノを彷彿させる(実際に彼からの影響とされる)官能的豊かさに輝く色彩と活き活きしたタッチの馬や静物が描かれてゆく。
そしてその技法によるマネキンたちの生成。
ここに芳醇な傑作は幾つも生まれている。
晩年となると、自らの初期「形而上絵画」の模倣や要素を入れ替えただけのものや、日付を書き換えただけの作品の量産が起きる。これは世間を大いに戸惑わせる(誹謗中傷を呼び込む)変貌でもあった。
この意味を解説できる美術評論家は未だにいない状況である。
一部、初期作品の評判が上がったためのリクエストに応えたものだなどという噂もあるが、ニーチェに強く影響を受けた画家~小説家である彼の読み込みはまだ十分になされていない。
少なくともウォーホールなどとは、全く別の系に乗る芸術家であろう。
謎をもっとも愛する画家であったが、自身非常に深い謎を秘めた画家であった。
この謎が深くわたしを魅了し続ける。
実は「通りの神秘と憂愁」は、わたしのノスタルジア~原郷の拠点のひとつなのだ、、、。
それが映画となると、まさにタルコフスキーの「ノスタルジア」そのものとなる。
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