最強のふたり

Intouchables
2016年
フランス
エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ監督・脚本
ルドヴィコ・エイナウディ音楽
フランソワ・クリュゼ 、、、フィリップ(頸髄損傷の富豪)
オマール・シー 、、、ドリス(スラム街出身の黒人青年)
アンヌ・ル・ニ 、、、イヴォンヌ(助手)
オドレイ・フルーロ 、、、マガリー(秘書)
通常、出遭うはずもないふたりが出遭ってしまった、というもの。
にしても、「最強のふたり」はないでしょ。この邦題で恥ずかしくて観れない(買えない、借りれない)ひともいるはず。
わたしもそう。
だから、Amazonプライムで無料視聴第三弾とあいなった(爆。
キャストとロケーションと音楽が良かった。
とっても良かった。
それだけで映画として観れる域に達する。
貧しいが飾らない弾けた黒人と頸髄損傷(首から下は麻痺)の教養ある裕福なフランス人との間の交流を描く。
際どいジョークや悪ふざけがかなりあるが、打ち解けるには適度のスパイスかも知れない。
フィリップは一見気難しい男に思われるが、
誰とであっても、ただの人と人との邂逅でありたいのだ。
フィリップは自分を障碍者扱いしたり色眼鏡でみる介護人は好まない。
(フィリップ自身、今の自分に何ら不全感は抱いていない。ただ妻を失ったことだけを哀しく思っている)。
ドリスはその点あからさまに差別的な障碍者ジョークを放って茶化し、余計な神経は使わない。
建前を言わない。反応が率直で自分を曝け出して面白い。素直に私見を臆面もなく言い悪態をつく。
その辺をフィリップは気に入って採用したのだろう。
自分にあてがわれた部屋の豪華絢爛さに圧倒されるドリス。昨日までの生活との落差の激しさが、こちらにも社会的(階級的)格差をとして迫るものだ。しかしふたりの間には格差だけではない差異を尊重し合う関係が築かれる。
馴染み親しんできた文化の差異は双方にとって新鮮な驚きともなる。
それからの生活で、音楽を巡っての感想や観劇の際のドリスの無邪気なはしゃぎぶり、抽象画の買い付け値にたまげ、自らも絵を描いてしまうドリスなど、、、どのシーンをとっても面白い(この絵は真剣に取引される)。
思った通り、ふたりは打ち解け、こころが通い合う。
そう、他の使用人や助手、秘書も含めみんな楽しくなってゆく。
特別愉快だったのは、「あれ、どうしちゃったのよ?」と木の格好をして熱唱するオペラ歌手を指さし会場で大はしゃぎするドリスの姿やヴィヴァルディなどを室内コンサートでたっぷり聴かされた後、おれの一押しを聴けよと言ってアースウィンド・アンド・ファイヤをかけて踊りだすところ。お澄まししていた面々もノリノリで踊りだす、、、この辺から彼に眉をひそめていた連中がみんな彼に打ち解けてゆく。「音楽とはな、踊れないといけないんだよ。」(ボビー・オロゴンではない)。
ヴィヴァルディもアースウィンド・アンド・ファイヤもどちらも良い。
どちらもやはり好きだ。
フィリップの勧めで無理やりパラグライダーに乗せられ、ふたりで蒼い大空を舞うところなど、気持ちよさが伝わってくる。
電動車椅子を改造してスピードを速め、セグウェイをふたりで追い越して大はしゃぎしてゆくところなども。
フィリップはドリスの家族関係の複雑さ、今彼を(義理の)家族が必要としていることを悟り、彼の作品を多額で売った金を渡して解雇し家に戻す。
フィリップは新たに介護人を雇うが体調も精神的にもダウンしてゆく。
心配したイヴォンヌがドリスを呼び寄せる。彼はそのことを十分察知していたようだ。
最後は、最初のシーンと繋がる、一般道路を爆走するクアトロポルテ(マセラティ)で警察を振り切り、捕まっても騙して逃れ、さてどこに向かいうのかと思っていると、、、。
ここからのふたりの何気ない情感極まる演技と夜からトワイライトそして朝へと移る静謐なロケーションそれに絡むリリカルな淡々と迫るピアノの音がひたすら美しく、、、。
ふたりはドリスの予約でとった大きなガラスから浜辺が見渡せる綺麗なカフェに入る。
何と粋な計らいか、ドリスはそのカフェにずっと以前からフィリップが詩情を込めて文通だけを続けてきたエレノアを呼んでいたのだ。
ガラスの外からフリップに笑顔を見せて立ち去るドリス、、、
ともかく、キャストとロケーションと音楽が良かった。
素敵な、また観たくなる作品であった。
(実話であるということを示すためか、本当のふたりをエンドロールで映していたが、それははっきり余計であった。映画はあくまでも映画世界で閉じるべきであり、綺麗な余韻が濁ってしまうような破れ目を作るのはまずい)。

