クリエーター

CREATOR
1985年
アメリカ
アイヴァン・パッサー監督
ジェレミー・レヴェン原作・脚本
ピーター・オトゥール 、、、ハリー(ノーベル賞受賞の生物学者、教授)
マリエル・ヘミングウェイ 、、、メリ(ハリーの若い恋人)
ヴィンセント・スパーノ 、、、ボリス(ハリーの助手の生物学大学院生)
ヴァージニア・マドセン 、、、バーバラ(ボリスの恋人の生物学大学院生)
デヴィッド・オグデン・スタイアーズ 、、、シド(ハリーの同僚の教授)
ピーター・オトゥールである。
この人が出ていれば、観たくもなる。
マリエル・ヘミングウェイとヴァージニア・マドセンどちらも健康的で清楚なエロティシズムに溢れ、どの文脈にあっても一際、魅力的であった。
ハリー教授とメリとバーバラの存在はやはり目を引く。
ハリー教授は亡き妻のクローン作りを自宅裏庭の小屋でひたすら進めているが、よくあるマッドサイエンティスト風の人ではなく哲学者然としたダンディでスケールの大きい頼りがいのある男である。
とは言え、多分に我が道を行くタイプであり大学の設備の半分くらいを自宅の小屋~研究室に持ち込んで、妻の再生実験に利用している。公私混同など、科学の発展のためには何とも思わぬ、徹底してマイペースな楽観主義者とも謂えるか。
その博士の助手が決まり、そのボリスの恋人バーバラとの関係や、後に教授の世界観すら揺るがすことになる卵細胞提供者のメリも加わり、テンポのあるコメディタッチな展開となる。
彼は基本、ずっと昔に亡くなった妻のことが常に頭から離れず自分の研究分野の知識・装置を総動員して彼女の再生を日々図っている。その割には、ちょっと低予算的な怪しい施設でもあるが(笑。
実際そうした一つの想念に囚われた人もいるかも知れない。
が、寧ろその手段としての科学的方法にこそ取り憑かれて身動きが出来なくなっている部分も大きいと思われる。
結構、ライフワーク~習慣はそうした形で(手段の目的化で)継続してゆくことが多い。

意外な展開として、バーバラが一時、昏睡状態となり死にそうになる。
この時、大切なかけがいのない人の喪失の危機においてボリスと教授はかなり精神的に接近する。
ここでボリスと教授は医学的に何らかの手を打つことをしない。
結局、ボリスの懸命なことばかけで彼女は意識を取り戻す。
生命維持装置をシドの言うとおりにあっさり外していたら、そのまま帰らぬ人となっていた。
こんな神秘的な過程も現実にありそうな気もする。
医学や科学が万能な訳ではないし、ことばの力は、殊の外大きいものだ。
取り敢えず決断は、早まらない方が良い。
(噺の流れ上、必ず蘇生することは分かってはいるが)。
全体の雰囲気がちょっと現実離れのファンタジーだが、観易いトーンで進む。
父と娘くらい離れた歳の教授に結婚を迫る女性メリも、マリエル・ヘミングウェイだと違和感がない。
試験管の培養液のなかで、亡き妻の細胞が育って行くところなどは、この先が不安になったが、、、。
大学からの強制介入で機材を没収され、その心配はなくなる。
そして生命力溢れる彼女の奔放で溌剌とした愛で、教授は妻のクローンを諦め、妻の幻想から解かれて、メリとの現実的な生活を選ぶ。
メリと一緒に妻の細胞は、海に流してしまう。
マリエル・ヘミングウェイの快活さが、全てを解放に向ける。
(この映画を観て一番感銘を受けたところは、彼女に象徴される生命力の解放だ)。
教授としては、過去の記憶~イメージに生きることをやめ、メリと未来に向けて生きることにする決心をした。
彼の研究はその後、どんな方向に進めるのかは分からないが。
最後、皆元気になり、教授が研究生たちを引き連れ、海岸沿いを自転車で走って行くところが妙に清々しい。
そう、海岸シーンが印象的な映画である。
メリとの間に子供もできた(笑、、、というところでエンディング。
観終わってみて、特にどうという噺ではないのだが、キャストの良さで魅せてしまう映画であった。
存在感が心地よいというか、気負うところのない良い作品となっている。
そして、元気で快活であること。
その大切さを感じる機会ともなった。
二人の女優の瑞々しさが素敵だ。
ピーター・オトゥールがこういう軽い役で(主役ではあるが)出るのも悪くはない。
重い映画がしんどい時で、ゾンビ物などキツイという気持ちならば、お薦めの軽さと心地よさである。
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