スターシップ9

Orbiter 9
2017年
スペイン・コロンビア
アテム・クライチェ監督・脚本
クララ・ラゴ、、、エレナ(クローン)
アレックス・ゴンザレス、、、アレックス(エンジニア)
ベレン・ルエダ、、、シルビア(心理カウンセラー)
アンドレス・パラ、、、研究所のボス
そもそも、わたしにとって、映画は然程身近なものではないし、見る事自体に抵抗があり億劫に感じることも多い。
その為ジャンルがSFかどうかではなく、良い映画~見られるものでないと、大変キツイ。
兎も角、「ノスタルジア」や「ブレードランナー」、「アラビアのロレンス」は、何であろうが、文句なしに良い映画である。
そして、最近もこれは、という映画には巡り合った。
今日見た映画は、紛れもなくそのうちのひとつに数えられる。
素晴らしい作品だ。
マスターピースに出逢った時のトキメキに最初から惹きこまれ、20分後の尋常ではない展開からはもうどっぷり浸かり込んでしまった。
徹底して画像で語り迫る監督である。
不穏な雰囲気の光景に、不思議に心地よい空気が充ちている。
ブレードランナーへのオマージュにも時折、ニンマリする。

たった独りの孤独な移住(移民)のための星間飛行(いや周回飛行なのか”Orbiter”)をこの先20年続ける予定のエレナという20歳の女性。両親の存在はビデオの中で知るのみで、彼女を宇宙船の中で生んだ後に幼子を残し船外に出て行ってしまったらしい。
この初源における喪失~不在感とは、何であろう。
しかし、何かわたしにもそういった感覚が深々とこころに巣食っていることに気付く。
何とも言えない郷愁と焦慮の念と共に。
そういった感覚をふいに引き釣り出す映像なのだ。
うら若き女性が宇宙船にたった独りというのも余りにストイックな状況である。
そこへ酸素の供給システムの不具合で救援に応じてやって来たエンジニア。
彼女の初めて見る生身の人間であった。
しかしエンジニアは修理が済むとすぐに帰還してしまう。唖然とするほどの、その余りのそっけなさ。
彼女は、慣れ切った孤独に引き戻る。
(しかし戻れるのか。一度覚えた高揚感を身体的に忘れる事が出来るか)。
暫くして何の前触れもなく再び彼はやって来て、前回とは全く異なる感情的な面持ちで、いきなり信じ難い事実を告げ、事態を俄かに呑み込めない彼女を半ば強引に外へと連れ出す。
「外」である。
文字通りの彼女の身体性における完全な「外」であり、これまでの自分の記憶・文脈をすべて上書きしなければならない場所に追い遣られる。
彼女は生まれてこのかた20年間も、地球の地下施設で過ごしていたのだ。
幽閉され、監視され、テストされ続けて来たのだ。
何故、わたしが、、、何故その場所に居なければならなかったのか。
彼女と共に、こちらも眩暈に襲われる。
しかし、こうしたことはあり得る。
今わたしの居るこの場所が、本当にわたしがいるべき場所なのか、、、。
この光景がわたしの見るべき風景なのか?
わたしは何故、ここにいて別のどこかに居ないのか?
これは、わたしも常に持つ本源的疑惑である。
(決して本来居るべき場所が何処かにあるという超越的な前提など全くないにも関わらず不可避的に生じてしまう問いなのだ)。
地下生活、、、。
それ自体は魅惑的である。
深宇宙におけるたった独りとは、どう異なるのだろう。
身体的には、重力と宇宙線・光の作用であるが、それは全てシュミレートされた上での環境が作られているだろうが。

彼女はその実験施設のモルモットとして選ばれた理由を自ら探り出してしまう。
自分はクローン人間であったのだ。
両親と思っていた科学者夫婦は、DNAをクローン作成のため進んで提供した存在であった。
(植物はずっと昔からクローン技術によって繁栄してきた)。
彼女は寄る辺ない上に、何者でもない(人間と認定されていない)存在となる。
究極のわたしとは何か。
そしてわたしは何処からきて、何処に行くのか。
リドリースコットが映画で問い続けて来た問いにここからも繋がって行く。
「オービター計画」という人類移住計画のために10体のクローンが地下の実験施設で実際のロケットに乗っていると思い込んで生活~宇宙空間移動をしていたのだ。
毎日の様子や身体状況~健康チェックはモニターされて蓄積されてゆく。
地球に住めなくなった人類の20年かかる星間旅行の為の大掛かりな実験だという。
アレックスはその計画を推進して来た研究者であった。
しかし、実際にその実験対象に出逢って、そこに命と精神を見てしまう。
(自分の周囲の人間にないものを)。
そして彼女と共に逃避行する決心をする。
(まるでデッカードとリプリーのように)。
しかし彼女は地球の大気~太陽光には耐えられない体であった。
地下シュミレーターの中に最適化した身体として成長して来たのである。
軍隊のような研究機関に追い詰められてゆく二人。
彼女が処分される絶体絶命の時に検査で判明する。
アレックスとエレナの間には子供が出来ていた。
最後はそれを盾に、ふたりで共に地下施設に籠ることを機関に認めさせる。
そう自ら地下にゆくのだ。
遥か彼方の宇宙ではなく、地下に、、、。
それから20年経ったのか、、、その地下の扉から成長した女の子が微笑みながら外へ出てくる。
それを迎える年老いた所長。
全く無駄のない展開であった。
ひとりエレナ(とその外部としてのアレックス)を描く事でテーマの全てを語り切った映画であった。
わたしの意識のもっとも下部を揺り動かす映像である。
わたしにとってこうした作品こそが観るに値するものなのだ、ということを実感させる。
間違っても「パッセンジャー」などではない。
低予算映画のようだが、そのせいか音楽は今一つであった。
この映画なら、ハロルド・バッドあたりに音楽を頼みたいところだ。
アテム・クライチェ、、、この監督の名は覚えておく必要がある。
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