モーガン プロトタイプL-9

Morgan
2016年
アメリカ・イギリス
ルーク・スコット監督
セス・オーウェン脚本
マックス・リヒター音楽
マーク・パッテン撮影
ケイト・マーラ 、、、リー・ウェザーズ(危機管理コンサルタント、L4)
アニヤ・テイラー=ジョイ 、、、モーガン(モーガンプロジェクトL9)
トビー・ジョーンズ 、、、サイモン・ジーグラー博士(モーガンプロジェクト研究スタッフ)
ローズ・レスリー 、、、エイミー・メンサー博士(モーガンが最も慕う博士)
ボイド・ホルブルック 、、、スキップ・ヴロンスキー(調理人)
ミシェル・ヨー 、、、ルイ・チェン博士(モーガンの生みの親)
ジェニファー・ジェイソン・リー 、、、キャシー・グリーフ博士(モーガンプロジェクト研究スタッフ)
ポール・ジアマッティ 、、、アラン・シャピロ博士(モーガンプロジェクト研究スタッフ)
ルーク・スコット監督、リドリー・スコットの息子とは、まいった。
監督ファミリーだな、、、。
トニー・スコット(『デジャヴ』、『エネミー・オブ・アメリカ』、「トップガン」が一番有名か?)は弟だし、長女や長男も監督のはず。ルークは次男となる。
流石に映像には父親譲りの澄み切った「レンブラント光線」が射し込む(決して親の七光りではない)。森に射す光が一際、幻想的で綺麗であった。
これはリドリー家の血筋だ。
内容的には、、、
どこか、、、そうテーマ的に『エクス・マキナ』に近いものがある。
ヘンデルの「なつかしき木陰よ」が映像の雰囲気にピッタリ合っていた。
「あなたは本当の自分になろうとしている。」「それは一番大切なこと。」(エイミー)
そうした感情を「兵器」に持たせるとどうなるのか、、、。
周りの研究開発者(保護者)たちは、モーガンをかなり過保護に(腫れ物に触るように)育てていた。
ジーグラー博士をはじめ、最高の研究の成果=作品として彼女を誇りにして大切に扱う面が主調であるが。
エイミーはそのなかではもっともモーガンの精神に直截触れる関係をもっていた。
”L-4”はすでに兵器として完成されている。
”L-9”は、その上に感情を育ませるとどうなるのか、という実験であろうか、、、それとも現場の博士たちの暴走なのか。
遺伝子操作とは、このように結果が総体として発現されるか分からない面は大きいはず。
シンセクト社の研究施設で極秘裏に開発されたハイブリッド新生命体とは。わたしは人間そっくりのAIなど絶対に生まれることはないと確信しているが、遺伝子操作で超人的な新人類が作られる可能性は否定できないと思う(レプリカントを想起しないわけにはゆかないが)。
モーガンプロジェクトから生まれたL-9をアニヤ・テイラー=ジョイ。『ウィッチ』、『スプリット』、ここでも役柄を完璧に熟している。
L-4を『オデッセイ』のケイト・マーラ。驚異的に知的でクールでタフなのは何故かが最後に分かる、、、いや、終盤にははっきりしてしまうが。
「外の自由」に触れて、自分の外部に憧れる。
「わたしはわたし以外の者にはなれない」と悲観していたモーガンであったが。
最後はエイミーの語っていた湖に見入って、そこに天国を観て感動する。
危険極まりない純粋さで。

彼女の商品化が妥当かどうかを評価する心理テストで追い込まれたモーガンは暴走する。
それを制止するために麻酔で一端眠らせるが、大きな外傷を受けていた。
ともだちだと信じていた者たちに裏切られたという。
人は究極的な自己存在証明として、人を作りたい~造物主となりたいようだ。
しかし、作られた者は人に対する畏怖や畏敬の念などもたない。
それは、人が神に対して抱くようなこころがそれには備わっていないというより、人が神のように不在ではないからである。
不死(よって誕生もない)ではなく身近にあって生活し衰えてゆく者に対し、如何なる神秘性も神話性も生じようがない。
しかも自分より(多くの場合)遥かに脆弱な生き物に過ぎないのだ。
さらにモーガン(の心)が5歳相当ということもあるのか、、、比喩が理解できない。攻撃性の抑制が効かず衝動的。感情が適切な(人間の規範に則った)行動に結びつかない。しかしそれまでは、反省の感情が生じるべき時に沸いては来たが、(とは言え、それを行動の「ミス」と捉えるレベルで)、、覚醒後の感情の変化は大きい。まさにバーストしている。完全に(ある意味、感情の爆発とともに自分を解放し)タガが外れ、エイミー以外の人間は彼女にとって無価値となった。
元々自分は人間ではない、他の何者かだ、という認識ははっきり持っている彼女であるが、片っ端仲間を平然と惨殺し、エイミーと共に湖~天国に逃避行するも、憩う間も無く追い詰められる。
森のなかで神秘的な湖の水面に、初めて見たかのように自らの顔に眺め入る。
彼女は人間とは決別し、新たな自分になる晴れやかな感情に静かに包まれた。
だがそれも束の間、ウェザーズがターミネーターみたい銃声を森に響き渡らせ迫って来るのだった。

かなり過激な人間離れしたバトルがモーガンとウェザーズとの間に繰り広げられる。
ウェザーズの驚異的な回復力というか蘇生力が不気味この上ない。
ウェザーズが何者であるかも明白になり、怪しいとは思っていたが改めてショックを受ける(笑。
最後の光景はショッキングで余りに虚しいものである。
ここで終わってしまうのか、、、と思うとやりきれないものだ。
わたしは、モーガンが蘇生すると想っていたのだが、、、(ウェザーズを見ても)どうなのだろう?
ウェザーズに水に沈められたときにモーガンが何やら語っていたように見えたが。
そして、冷酷非情な任務に忠実な機械であるウェザーズも、そう単純ではなく、ひとつ魂胆~野望があるように窺えるのだが。
「わたしに仕事をさせなさい」と言って任務を遂行する姿からはそれだけの生物兵器にも受け取れるが、最後の様子からして、単なる最強の危機管理コンサルタントで満ち足りているようには見えないのだが、、、ただの思い込みか?
続編はあるのか、、、なさそうな気はするが、、、あって欲しい。
(人間的な)感情と思考のありよう(感情のない思考が可能かどうかはともかく)を巡る物語でもあったが、この映画に感情を揺すぶられるところがなかったのが不思議に感じる。
「ブレードランナー」のような感動が何故ないのか、暫く間を置いて考えてみたい。
(単にわたしの体調の問題か)。
新しさはないが、テーマは深く(普遍性があり)、突き詰めればかなりの作品になったはずだが。
アニヤ・テイラー=ジョイは、やはり凄い女優であった。
この役でまた観たい。

昨夜、睡眠導入剤と抗菌剤を飲んでから、これを書いたため、全く何を書いたか分からぬものとなっていた。
(奥歯を歯医者で抜かれてしまったので、その後はゾンビ状態(痛)。
訂正を入れざるを得ない状態であったため、最小限の訂正を入れました。
来られた方には申し訳ない。再度、ご確認のほどを(拝。
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