サンタさんが来た!

長女はリアルにサンタさんを信じていた!
20日ごろから次女は、ボクは(欅坂の平手さんの素振りに影響されてか)クッキーの詰め合わせとかよりゲームソフトだからね。
などと斜に構えてそれとなくプレゼントを要求していたのだが、こちらは内心NGを出していた。
かたや長女はサンタが今年も家に来るのかどうか、「スポンジボブ」のTVなど観ながら、かなり気をもんでいる様子だった。
大きな靴下を用意して、一昨日だったかサンタは世界で何人いるの?とか、靴下を吊るす場所を探しながら、サンタは大体身長何センチくらいなの?等と切羽詰まって聞いていた、、、。
そしてクリスマスの日に、靴下に入らないので、玄関にクッキーの詰め合わせの外見はかなりお洒落なクリスマスパッケージの緑・赤の袋が置かれているのを観ると、、、次女は「ぼのぼの」のシマリスのような笑みを浮かべた顔で、長女はパッと目を輝かせて、、、
「今度はゲームにしてね」(次女)、「サンタさん来た!」(長女)である。
かなり成長過程に差が出たというか、個性の差だろうか?
いや、長女も来年には気づいている~現実に目を向けている~はずだが、超越的なモノに夢を託したいという気持ちがさらに強いのだとは思う。
それはわたしも似たようなものだ。
この現実に重ねて、全く超越した他の次元を感得したい。
そもそも、わたしが毎日、植物を気遣って日光や土や水や肥料のことを調整したり、同様にカメの世話をしたり、しているのも、無意識的に、異なる存在の系に触れたい為に行っているところは大きいと感じる。
他の何かを求めている。
その意味での他者を。
無限のパタンを夢想する。
光の中に、、、。
かつていた光の中にだ。
われわれは減速して重み~個性を得たものたちだ。
(いや重みを得て減速したのか、、、)
何かを思い出すために同じことを繰り返しているのかも知れない。
毎日とは、そういうことか、、、。
そうして反復する。
様々なバリエーションを取り込み複雑化しつつ、、、。
畑(極小の)まで耕しているのだ(爆。
反復しながら回帰する。
この現実が平板で固着し、枯渇してゆけばゆく程、われわれは分裂病的に内閉して逝く。
少なくともわれわれが真に健康に生きるためにも、、、
多様性はしっかりと、どういう形でも、保証されなければならない。
存在の本質は多様性であることからも。