無意識について思うこと

法と謂っても、いつもは自然学的法にしか興味をもたないわたしだが、今日は電話で高校時代の法律の専門家で自身事務所を出している友人と話をして、随分スッキリした。
そちらの方面からの対策が充分に可能であることも分かり勉強になった。
わたしにとっては馴染みのない異質の知である。ちょっと貴重だ(笑。
抽斗が幾つもあるに越したことはない。
鬱陶しい障害物は悉く叩き潰さなければならないゆえ(笑。
現実のある層においての必要知というものは、ある。
さて、今日は池田理代子氏の「オルフェウスの窓」を読み~観始めた。
その9巻(集英社文庫)に渡るボリュームにまず圧倒された。
正直、眩暈がする。
例の「エカテリーナ二世」の物語も実に緻密で緊張の途切れないドラマチックな出来栄えに魅了されたが、これも先行き大いに翻弄されそうである。
しかし池田氏の本は観た後で随分、勉強になっている。
エカテリーナ二世大帝の生涯を通して随分ロマノフ朝について情報を得られたと同時に母子関係の根源的な問題~母の無意識についても考えを深めるきっかけにもなった。
また、大人の恋についても、男女の受け取り方の差異についても、その識域下のやりとりなど(特にポチョムキンとの、、、)成程と感慨深いところがあった。
そう人間は自分の知識~意識より寧ろ、無意識~身体性に向けての洞察こそが肝要である。
ヒトラーという装置について考えてみても、彼が「我が闘争」の中で繰り広げた時の政権や政治家の腐敗、経済的な苦境に於ける人々の在り様についての明晰な構造分析と自身が芸術家(画家~建築家)志望でありながら政治に向かわざるを得なくなる次第はとても説得力溢れる記述で理解できたが、どうしても優勢民俗思想が文脈に対し超越的印象で異様に引っかかっていた。
これまでの経験を素地にした出来事~苦境から論理的に進められた文脈を唐突に破り、ゲルマン民族は人類にとってプロメテウス的存在であった、といった言説が度々激情的に突き上げて来るのをもって見当がついた。
これはアーリア神話として何時しか形成された、アーリア人を絶対的優位に置いた、彼らとセム人との間の集団無意識的な根深い相克の流れであるようだ。
つまりはゲルマンとユダヤの間の全ヨーロッパ的な憎悪の結果がターミネーターとしてのヒトラーに手渡された形。
彼にその流れが行き着くまでに、その憎悪の流れは現にイギリスをはじめヨーロッパ諸国に広がり行き渡っていた。
科学的にも(科学の体裁で)ダーウィンやその甥の学者によって優生思想が民衆の無意識にまで染み渡っていたのだ。
だからヒトラーたちが何度かクーデターを企て失敗して彼が独房に入れられても、実に異例の短期間で釈放され更に過激な政治運動に邁進できている。
「我が闘争」の執筆も(ルドルフ・ヘスによる口実筆記だが)、独房に捕えられていた6か月間に行われたとは言え、ホテルのスウィート並みの部屋での暮らしぶりであったらしい。ヨーロッパ(アーリア)の無意識がヒトラーを応援していたことは間違いない。
そして場所(時空)に関係なく、恐ろしいものは母親の無意識である。
これが子供を破壊する。
エカテリーナ二世の息子であるパーヴェル1世が何故愚帝で名高いピュートル3世の人格模倣をしてしまったのかもその結果として捉えられると思う。
当代随一の読書家で知性の高い、しかも進歩的で啓蒙主義思想も軒並み取り込み、息子パーヴェルにもその教養を与えていた彼女が、実際の政治においては封建的君主制を断固貫き、ポーランド分割を他の国の皇帝よりも強行に行っていた。更に晩年には焚書政策にまで手を染める。これではダブルバインドの極みである。心ある忠臣もかなり離れたようだ。
これは単なる知識は知識、行為~言動は別物とかいう生易しいものではない。
パーヴェル自身、造詣豊かなエカテリーナ二世とオーストリアの名門貴族でこれまた知性教養申し分ない男性との間の子であり環境次第で大きく異なった運命を辿る可能性はあったはずだ。
彼は形だけの父であるピュートル3世同様クーデターで暗殺されている。
とは言え、パーヴェル1世のような単純な反動形成より遥かに孫のアレクサンドル1世への影響が根深い。
(勿論、何度か立憲君主制への動きが生じ、皇帝を傀儡化する狙いも見えたが、ロマノフ朝に引き戻されてしまうそのロシア全体にかかった呪縛も国民全体の無意識と受け取れるものだ。プロシア~ドイツの血が入りホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ王朝となっても呪縛はさらに続く。エカテリーナ二世大帝はドイツ人である)。
何を読んでも観ても、まず無意識~構造がポイントに感じられる。
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