S君の仕事-Ⅴ

他にもいろいろ、、、今回はこういう形でしか撮れないものも多く(例の溢れ出すキノコの絵のように、、、)、全体像はこの後、またの機会に。
最初期(初期)の点描の厳格さを守り続けてきた頃と異なり、自在な筆致を駆使するようになるにつれて(ゴッホも実に多彩な筆致を編み出して使い分けていた)、色彩が際立って瑞々しく鮮やかに活き活きしたものになり、同時に絵画世界の輪郭がこちら~観る側の身体性に溶け込んできたように感じられる。
この観るというインターフェイスに筆致はとても解放的な装置として作動したのだ。
現に昨日から今日、ここに載せた絵は、無意識的に共振できる波動に充ちている。
郷愁と焦慮の念と共に、自分の身体性の何処かに埋もれた記憶を呼び醒ます。
過剰に説明的でカタログ(図録)的な俯瞰と距離感、それによる硬直したシンメトリックなフレーミングによる画像群が、この世界~わたしの意識の縁に連続し奥行きをもつ無理のない目線の内の表象と化していた、、、。
そして固有の質量を持ってきた。
つまり多様性が活き活きと感じられる。

緑の匂い立つ画像である。やって来る電車も緑。光がとても優しく、本当の光らしい。
俯瞰してるが、たまたま出逢った世界の切り取りである。
緑の木々の向こうから顔を出してくる電車はどことなく青虫を想わせる。もしかしたらかつて木々の内に見出した葉っぱの上を歩く青虫とのダブルイメージになっているのかも知れない。微視的・記憶上のイメージが様々な絵の要素と絡み融合している可能性は高い。
右側をカーブしてゆくトロッコが可愛い。しかしどちらに向けて走っているのか、又は止まっているのか分からない微妙なバランスを保っている。しかし電車との何らかの対応(力学的)関係はあるように想える。
この絵がわたしを引き込むのは、何より光と影である。
光がとても柔らかく繊細な煌きに充ちている分、影の癒しの効力も高い。
影が補色になって、とても居心地が良い。

画面全体が夕焼けの過飽和状態である。
黄昏時ではあっても奇妙に明る過ぎる一時(一瞬)の光景~記憶に違いない。
明らかに汽車が汽車以上の何かである。
黄色い光がこれだけの分量の郷愁と神秘を呼ぶものか。
透明の黄色を幾層にも分厚く塗ったものであろう。
タップリ過ぎる光がとてもしっくり馴染む絵だ。
わたしも、この光景の中にいたことが一度ならずあることに気づく。

スカイツリーお出ましである。
飛行船も飛んでいる。(わたしも飛行船はよく絵に描いた)。
思い出深い電車特急「こだま」(151系)も走って行く。やって来たというより行くぞという方向性を感じる構図だ。
そう、スカイツリーを軸(ほぼ中心)に、飛行船の飛行の線、鳥の飛翔の線、「こだま」の走行する線、煙突の煙のなびく線、暫し停泊している屋形船のこちらに向かう線、の各線が誇張された放射状のパースペクティブを持つ。
これらは異なる時間流の輻射と受け取れるものだ。
更に画面の上下がほぼ半分に黄色と緑に分割されている。空を漂う系と水上を漂う系との質=色の差であるか。
スカイツリーが中心を左にズレているところが、絵の力学において上手く全体をまとめている。
無意識的な平面の正則分割的構成ではなく、意図的で意識的な幾何学的構成に作家的意欲を感じる(笑。

初期の絵に一見、内容~要素が似ているが、空間の奥行きと空間自体の質的厚さがとても濃厚である。
そして要素の置かれ方も奥行きを作ってゆく。
立体感と色彩の息遣いも初期の絵とは別物である。
わたしは、当初どの年代でも彼は同じ世界を描いているため、時系列の重要性はないということを述べた。
半分はそうなのだが、半分は違う。
テーマは同じであっても、その世界は徐々に自発的に破れ、外に解放されてゆくのだ。
創作とは、制作の反復とは、そういうものであるのかも知れない。

東京タワーである。
これはまさに懐古的な、また回顧的な意匠である。
今の時点で、昔やってきた絵をもう一回描いてみたいという気持ちか?
多くの要素を予めセットして、スイッチを入れた途端に起きた騒ぎ。
奥行きだけでなく電車やバスや飛行機や風船や傘のカップルたちが一斉に走り出し宙を舞うダイナミズムとちょっとキッチュな面白さ、、、。ひとことで言えば、趣味の世界。
どうしてもこういうのをやりたいヒトなのだ。
やはり時系列は余り関係ないな。
しかし絵は生命感があり気持ちよい。明らかに描画手法は繋がっている。

プレ・ラファエル派の絵だと謂っても信用する人は多いと思う。(電車があるのは変だが)。
新しい光と色彩と筆致を得たうえでの点描もフルに活かした制作だ。
かなりの力作である。
池には鰐もいる。
電車はやけにリアルで、上に観られた郷愁に染め上げられた車両ではなくすっきり洗い流された姿を見せている。
そして何と言っても植物の描き方の多様性であろう。
海と沖に輝く光はもうお手のものか、、、。
しかし一番異なるのは、いつもの後ろ姿の少女ではなく、横向きの座ってもたれかかり夢想に耽る妙齢の女性である。
わたしがプレ・ラファエル派と言ったのもそれが大きな理由となる。
左上部の木陰が少し彩度が高すぎる感じはするが、精緻で繊細でありながら全体構造がしっかりした調和のとれた絵である。

江ノ島である。
S君にとって江ノ島は楽しいところなのだ。
楽しいから、それを詰め込みたい。
先程の乗り物ラッシュではないが、ともかく好きなものが色々入って来るのだ。
ある意味、シンプルでナイーブな絵であるが、シンプル(省略)して単純化を図る方向性とは逆である。
様々なモノを収集し増殖する絵でもある。また作者でもある。
最初期にこんなテーマの絵があったが、もう構図は遥かに複雑になり、色彩も筆致も自在性はずっと増している。
ただ、技量が増したと言うより、解放され表現が深まり広くなったのだと思う。
しかしヒトは変わらない。
やはりS君なのだ。
彼は不変の人である。
今回の特集は取り敢えずこの辺で、、、。
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