S君の仕事-Ⅲ

2Dから3Dへ、、、。今となっては珍しいトリックではないが、かなり昔から置かれている。
キノコが余りに自然に溢れ出ていた。
キャンバスの形式とサイズを記していないことを、わたしも気にしていたのだが、大体がFであり、真四角のSもあるにはあるが、長細い(長方形の)PやMはさほどなかったと思う。大きさも3号くらいから10号あたりが多く。20号などは大きい方だ。最も大きいのでもF30くらいであったと思う。兎も角、小さめの絵が多いということはお伝えしておかなければなるまい。
正確に画像に題と形式・大きさを記すべきであるが、それは正式な画集やS君回顧展などでしっかりできればと思う。
子どものお守りついででは、そこまで行き届かなかった。
細筆(面相筆)でひたすら細かい点描で描くことから、大画面タイプの絵ではない。
太い平筆で豪快なタッチで塗る絵の対極で、点を置くことで生成される絵である。
ちなみに、われわれ共通の友人O君(バイオリニスト、作曲家)は、前者の代表ブラマンクが好きだ(笑。
わたしも時折、凄く観たくなる画家だ。だが、わたしもO君もS君の絵を観に窺う。
われわれは、それぞれが面白いというだけでなく、多様性そのものを楽しんでいるところが大きい、と思う。
お喋りも楽しんではいるが(笑。

この絵は昨日の作品の二番目あたりに来るべき絵で、教育出版の音楽の教科書(小2)の裏表紙に載せられていた絵だ。
もう随分古い。(H.7年印刷、8年度配布の教科書)。
しかし彼の絵はテーマ(本質)は不変である為、年代(順)が何らかの意味をなすこともないので、わたしもほとんど雰囲気で並べている。
正確な順番は本人にしっかり確認しなければ分からない。
だが、彼にとっても大した意味は持っていないはず。

*わたしの同時期の音楽の教科書(小4)に掲載されたものは、「続きを読む」にて、、、。
確か7回だか描き直したそうな。わたしも一度部分的に描き直している(挿げ替えている)が。
その世界に関する拘りのぶつかりから(描いているうちに仕事を越えて自分の作品となってしまう人は少なくないことから)、もつれることもあるし、文字や写真を入れる部分に絵を描いてしまい、それをどかしてくれという単純な要請になかなか添えずにだらだら描き直しが続いている場合もある。
S君も拘りはやたらと強く、絶対に自分の主張は曲げない人であるから、どういう形の描き直しであったか、、、
(以前、新左翼系学生活動家から三里塚の絵を描いてくれと頼まれ、大激怒していたことを思い出す。わたしも怒るはずだが、あそこまで怒るかという感じだった。基本、意に添わぬことは一切やらない人だ)。
わたしは、仕事の場合は全面的に向こうの依頼を呑んでしまうので、ただ要請に近づけるだけの問題でその点ではお気楽である。
この絵、非常に練られた構図であり単純化も精緻になされて洗練度が実に高い。
もう力作と言うべきであろう。
恐らく普通に描いてゆく場合、S君が描き直しをするとは思えない。
(まるまる自作のコピーは平気でするが(爆。そのエピソードは別の機会に、、、)。
その分、ここでの描き直しは明らかに作品の充実度と完成度においては良い形に反映したと思われる。
特にダイナミックにまとまった構図と細部の統一感と調和である。
良い意味で、頑張った感じがする。

教科書画のエスキースか最初のイメージスケッチ的な絵にも見えるが、ここに時系列で繋がっているのかどうかも定かではない。恐らくもう少し以前の作品であるとは思うが。
シンメトリックで動きのある安定した装飾的な作品だ。
好きなものは、しっかり描き入れている。
その点でも安心の一作だ。

横浜の風景のファンタジックに変性したものか?
夜景であるが彼の場合、朝であろうが昼だろうが夜景であっても、それは単なる光力の差、色光の違いに過ぎない。
全て(モノによってはガラスケース内の)ジオラマを照らす特定の光源である。
S君のなかのイメージなのか?
寧ろインターフェイスなのだろう。
彼と環界の間に生成される薄い煌びやかな街なのだ。

この岩壁。
タリバンに破壊された仏像みたいな像もいるこの岩壁こそトロッコの絵に端を発するあの地形からやって来たものだ。
マジンガーZみたいな神聖な石像も間近の森に寝ている。
ただ安定が悪く、たまたま寝かされているのかも知れない、、、時折そうしたフィギュアもあるものだ。
ここでは広い森と例の岩壁もそうだが、手前左空間を占める光の三原色を体現したような妖精が何よりポイントだ。
ほんのり甘やかな生命感も漂ってくる。
そう、無時間模型の平面世界から生命の息吹が立ち昇る気配がある。
(別にこの先、ここからどう変わるなどという線状性はないため、それを匂わせる書き方はすべきでないな(笑)。
明日に続く。
「絵を見て作曲しよう。」
主題が一節与えられ、その続きを考える単元のもの。
周りのクレヨン模様の縁取り合わせて5枚の作品。
ポール・ギャリコの「雪のひとひら」から雪ん子を主人公として4つの駒で物語を示す。
雪ん子が冬の黒い雲の中に生まれ、地上に冬の街の音を聴きに舞い降りる。
様々な地上の音を楽しむ雪ん子だが、やがて春が来て雪も溶け彼女も川に溶けて流されてゆく。
最期は大海にまで流れ着き空へと戻って逝く。
この三つめは、編集会議で「死を連想させる」という意見が出て描き直しとなった。
教科書として配布された際には、3枚目は全く違う絵となっている。
だが、わたしは最初のバージョンが気に入っており、ブログにはそちらを載せた。
非常な低画質だが、何とか雰囲気は伝わるだろうか、、、。
この時期、大田区100人の画家による「新太田百景」の蒲田駅周辺(西口)も何故か描いている。
こちらは、スーパーリアルに(笑。作風はまるで違う。