プールの時間

久しぶりの暑さから、水が恋しくなった次女に誘われスポーツ公園のプールに行く。
勿論、長女も一緒で、いざ泳ぎ出すと(まだ泳ぎなどと謂えるような代物ではないが)彼女の方が夢中になっていつまでも泳いでいる。
最初は25Mプールで泳いだが、広く少し冷たいところで泳ぎたいという次女の希望で、50Mプールに移る。
(こちらは、休憩時間にジャグジーでくつろげるのがよい)。
飛び込み台からは、選手と思しき人たちが板の反動から宙に舞い、捻りを利かせた飛び込みを順番にやっていた。
ただ、唖然とした顔で眺めるふたり、、、。
25Mから見ると流石に向こう岸は遠く、水は冷たかった。
プールという感覚は、こちらの方が瑞々しい。
明るさは25Mプールのブースより、こちらの50Mプールの空間の方が何故か暗めで、二か所と四人いる監視員の大学生?の顔が影のなかに霞んでよく見えない。時折その見えない表情からマイクで何か注意を与える。
声は響くが内容はよく掴めない。泳いでいれば尚更。
久しぶりに、水に入り(やはり風呂とは違う)泳いでみると、自分が如何に水から遠ざかっていたか分かって来る。
身体の馴染み具合~自然な浮きや四肢の動きの柔らかさが、ない。
強張りや異物感として自分~身体が感じられる。
水と身体の輪郭がぎこちない。
自分もかつて、水の中にいたことを想う。
長女のゴーグルが壊れてしまったため、わたしのゴーグルを着ける。
大人の黒縁ゴーグルをピンクの水着の娘が付けていると何か可笑しい。
平泳ぎやクロールでは、今ひとつどうも水が掴めなかったが、背泳ぎを緩くやってみたら、そのラッコスタイルが妙に心地よくなり、腕を使わずバタ足のみで天井を眺めて進んでゆくと、今日はこれでいいという感じがしてきて、安心感が沸いた。
すかさず、長女も面白がってマネをする。
彼女にとって初めての背泳ぎというか上を向いて浮かぶ経験となった。
そのころ、次女は疲れたのかプールサイドに座り込んでいた。
プールは彼女の希望できたので、もっと泳ぎ燥ぎまくるかと思っていたら、ちょっと不機嫌そうなので帰るか聞くともう帰ると、、、。
思うように泳げなかったのか、、、単に疲れただけではなさそうだった。
難しい。
だが、長女はもっと泳ぎたいと。
それは分かる。まだ超過料金を支払うまでもいっていない。
大概、乗ってくると基本料金で足りる時間では済まなくなるものだ。
仕方ないので、長女が後50Mを何回かに分けて泳ぎきるまで、次女はサウナで待つことにした。
ただ泳ぐという行為~身体運動は気持ちよい。
抵抗が減るほど心地よくなってくる。
無心になる。
内部の水が共鳴し始める。
イルカのご機嫌な泳ぎを回想する。
仄明るい胎内を想像する。
やはり水の中であることは、地上より圧倒的に楽であったはず。
次女は早々に陸に上がってしまったためその快楽が得られなかったようだ。
何か臍を曲げることがあったか、気が逸れてしまったか、それに疲れが被ったか、、、きっと余計なことを考えて~思ってしまったものか。
しかしこの重力下では純粋な思考など出来るはずもない。
夢という例外の時間を除いて。
身体が重みと化しているではないか。
重みは病でもある。
われわれは一体何を想って陸地に上がってきたのだ、、、、。
よりによって、この空間の中で重い頭を支えて直立二足歩行という肩の凝る(腰にもくる)アクロバティックな身体を自らのものとしてしまった。
浮力のない空間に出て来て、立ち上がるまでしたのは何故なのか。
脳が発達したことは結果論である。(いや初めからその企みがあってのことか?)
遠ざかる月に縋りつくように思わず立ち上がったのだ、という説も聞いたことがある。
(月は昔はとても巨大で今より遥かに早く回っていた。その影響は大きい)。
やはりプールという時間は、かつてを回想し郷愁に浸り、無心に戯れる場であろう。

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