エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事

The Age of Innocence
1993年
アメリカ
マーティン・スコセッシ監督・脚本
イーディス・ウォートン原作
ダニエル・デイ=ルイス、、、ニューランド・アーチャー(名家アーチャー家の家長、弁護士)
ミシェル・ファイファー、、、エレン・オレンスカ(伯爵夫人、名門ミンゴット家出身)
ウィノナ・ライダー、、、、、、メイ・ウェランド(エレンの従妹、ニューランドの婚約者~妻)
ジェラルディン・チャップリン、、、ミセス・ウェランド(メイの母、エレンの叔母)
マイケル・ガフ、、、ヘンリー・ヴァン・デル・ライデン(ニューヨーク社交界の長老)
スチュアート・ウィルソン、、、ジュリアス・ボーフォート(出自の怪しい事業家)
ミリアム・マーゴリーズ、、、ミセス・ミンゴット(ミンゴット家の女家長、エレンとメイの祖母)
リチャード・E・グラント、、、ラリー・レファッツ(ニューヨーク社交界の影の仕切り屋、嫌われ者)
メアリー・ベス・ハート、、、レジーナ・ボーフォート(ジュリアスの妻、名門タウンゼント家出身)
アレック・マッコーワン、、、シラトン・ジャクソン(ニューヨーク社交界のゴシップ通)
1870年代のアメリカ上流社会が舞台であるが、これほど窮屈で退屈ではわたしなら3日で何処か他の国に脱出しているはず。
こんな形式ばったやりとりと、悪い噂噺や牽制し合いのパーティ続きでは息も詰まる。
自由主義的な教育を受けて育ったヒロインのエレンもイギリスで結婚したが、、、。
伯爵がとんでもない人物のようで、ニューヨークに離婚を前提で戻って来ている。
だが上流階級独特の保守的な環境ではゴシップの格好の餌にされ、自由で進歩的な思想を持つエレンにとっては、甚だ居心地が悪い。
単に噂を流して楽しむだけでなく、彼女の帰りを快く思わぬレファッツなどが権力によって他の皆が歓迎パーティを欠席するように仕向けたりの嫌がらせをして来る。
幸いニューランドが、誰からも慕われる実力者であるヘンリー・ヴァン・デル・ライデンに力添えを頼み、彼に歓迎会を開いてもらうことで彼女の名誉が保たれる。
しかしメンドクサイ世界ではある。
ニューランドのアーチャー家は名家であるが、彼は保守的な慣習には馴染めない。
表立って批判はしないが、快く思ってはおらず内心引き裂かれている。
その為、伯爵夫人のエレンとは大変感覚的にも知的にも惹き合う。
婚約者のメイは、伝統的な生き方に何の疑問も感じない女性だが、その健気で直向きな性格と美しさにニューランドは恋していたのだが、、、。
エレンのように本質的な部分で共感してしまう存在が現れてしまった為に、この後大きく揺れ動いてゆく。
ニューランドとエレンは幼馴染であり子供時分に遊んだだけで、適齢期には彼女はヨーロッパに留学しており、その対象から外れていたのだ。
エレンがいないとなると、社交界で際立つ珠玉の華と言えばメイ・ウェランドとなる。
お互いに惹かれ合い相思相愛関係であるのだが、、、彼らはすぐに結婚とはならない。
形式ばった両名家としては婚約してから1~2年はお付き合い期間を置き、その後初めて盛大なパーティで仰々しく発表という手順を踏まなければならないのだ。
これがニューランドには、気にくわない。だが、その伝統に染まって全く疑問もないメイにとっては何故そんなに彼が急かすのか分からない。
しかしメイは、感受性が異常に鋭く、彼女に嘘は通用しない。また、純朴な素振りを見せていて、かなりの事を感知・把握してしまっている。これにニューランドが気付くのは、大分遅れてからだ。
タイミングさえ合っていれば、ニューランドとエレンこそが、その教養と価値観や感覚的にもカップルに相応しいのは明らかだ。
二人とも藝術的素養も深い。
ミセス・ミンゴットも「あなたたちがお似合いだわ」と鋭く見抜くように。
(冗談で言いながらはっきり残念がっている)。
このニューヨーク社交界では、ヘンリー・ヴァン・デル・ライデンのような絶対的な信頼を得ている人格者やミセス・ミンゴットのように誰からも一目を置かれている(「皇太后」扱いされている)シンボリックな存在は、大きい。
彼らがいるお陰で、不当で無思慮で無責任な政治的圧力に潰されずに済む。
もし彼らが無能であったらそれに太刀打ちできない。
というより徹底した暴力が加えられることになろう。
わたしの近傍でもそういった状況があるが、統率者的な存在が皆無であることでかえって最悪の状況には振り切れないでいる。
それでよいと思う(笑。どうでもよい。
そして中盤からの泥沼状態である。

いよいよ堰を破ったようにニューランドとエレンの感情が横溢する。
もう全てを捨てて現実のない国に行こうとまでニューランドは口走る。
パラレルワールドにでも行ってしまいそうな凄い勢いだ。
エレンはメイの為にも、身を引こうとするが、ニューランドが突っ走ろうとする。
そしてニューランドの胸の内に、何とも恋愛の純粋で究極的な~自然で動物的な感情が発動して疼く。
「メイが死ねばわたしは自由になる。人は若くして死ぬこともある」と彼女の髪を撫でながら本気で考える。
わたしはこの先がかなり心配になってしまう。
主人公3人にはとても感情移入している為、この先「アンナ・カレーニナ」状況になってしまわないかハラハラして来るのだ。
動物(生物)としてのヴァーチャル~潜勢力がいつアクチャルに突出しないか、こういった制度~超自我が覆いかぶさる時勢では、とても危うい。
結局、メイに子供が出来たことが分かり、エレンはヨーロッパに戻り、ニューランドとメイはふたりの子供~兄妹を成人させるまでに幸せな家庭を築く。
メイは先に旅立ち、独り身となった父を息子が海外事業で出張の際、誘う。
そこで初めて息子がエレンの事を知っていることが分かる。
というより海外留学時にすでにエレンにはお世話になっていたのだ。
何故なら、メイが他界する間際に息子独りを呼び、お父さんが私の為に最愛の人と別れてくれたのよ、と告げていたのだ。
息子は父をもう一度、その最愛の人に逢わせようとして彼を連れて来たのだった。
もう初老の身となったニューランドは、エレンの住むアパルトメントを暫く臨んでいたかと思うと、何も言わず去って行く。
何かの賭けを彼はしたみたいだった。
以前にも「船が灯台の前を通り過ぎるまでに、彼女がこちらを振り向いたら、声を掛けよう」と決め彼女を見守ったが、、、
ついに振り向かなかったので、声は掛けなかったことがあった。
きっと窓辺に彼女が顔を出したら入って行こうと決めていたのだろう。
窓が召使に閉められたので、やめたのだ。
全編を通して絵がひたすら美しい。特に夕日に黄昏た風景。
勿論、ウィノナ・ライダーの瑞々しさ。
衣装・テーブルウェア・調度品・絵、、、装飾美術も充実である。
映画である。そう思った。
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