キング・コング 2005

King Kong
2005年
アメリカ
1933年「キング・コング」のリメイク
ピーター・ジャクソン監督・脚本
メリアン・C・クーパー、エドガー・ウォレス原作
ナオミ・ワッツ、、、アン・ダロウ(舞台女優)
ジャック・ブラック、、、カール・デナム(映画監督)
エイドリアン・ブロディ、、、ジャック・ドリスコル(脚本家)
トーマス・クレッチマン、、、イングルホーン船長
ジェイミー・ベル、、、ジミー(ベンチャー号の少年船員)
エヴァン・パーク、、、ベン・ヘイズ(ベンチャー号一等航海士、ジミーの親代わり)
カイル・チャンドラー、、、ブルース・バクスター(映画主演俳優)
舞台は地図上にはない謎の島「スカル島」と1930年代の不況に喘ぐアメリカである。
正直これ程凄いVFXの映画だと思わなかった。
凄まじいというレベル。どうやって作ったのだろうという映像が一杯であった。
「ジェラシックワールド」など遠く霞んでしまう。
特に、アンとコングの関係に違和感がなく、コングの微細な表情の変化には驚く。
「美しい」という「ことば」がアンとコングとの間(ジェスチャー)で伝わり合うところはとても素敵だ。
二人を包む島の夕日とエンパイアステートビル頂上の朝日は格別に、いや異様に美しい。

コングは高台でトワイライトゾーンに浸るのを好む詩人なのだ。
黄昏時は、誰も可もなくその存在は単独者となる。
単独者同士の邂逅である。
一切のイデオロギーもパラダイムもない、ただ薄明の光に照らされるだけの関係。
そこは下界のとは関わりのない至福の場なのだ。最初のアンの務める舞台の歌のように。
純粋に等価な魂同士の触れ合い。
これ程美しい映画が他にどれだけあるか、、、。
ナオミ・ワッツが本当に頑張っていた。
これ程、観ながらよく頑張ってるな~っと労いたくなる女優はいなかった。
そぞかしタフでハードな撮影であったはず。
それから何といっても、出てくる恐竜が非常に即物的な迫力で迫って来る。
もう、文字通りの肉弾戦なのだ。
ブロントサウルスのぶつかりこすれ合いながらの大きな群れでの激走。
特にデナム達はカメラやフィルム、三脚などの機材を持って逃げる。
まさに恐竜の足の合間を縫って逃げる人間、、、。
合間で人間を食おうとちょっかい出すユタラプトル?小型肉食獣たちの小賢しい動き。
これらの動きが非常に速い速度で絡みあう。
所々で、踏みつぶされたり、放り投げられたり、食われたり、撃ち殺したりのアクセントが入る。
ともかく迫力の流れ~リズムだ!
更にティラノサウルス3頭相手にコングの激闘。
迫力ではこれがマックスかも知れない。
コングは最愛のアンを守っての闘いを余儀なくされる。
流石にティラノサウルスは他の恐竜などと比べ戦闘力は桁違いだ。
度々あの鰐より鋭い歯で噛みつかれるも怯まずにアンを庇いつつスリリングな攻防が続く。
最後はコング圧勝に終わるが、その地形と体術(運動能力)を目一杯利用したアクロバティックな動きそのものに感心した。
特に、アンを右手左手足で軽業的に受け止めて闘う姿は、まさにそれである。
それにしても、恐竜が絶滅せずに生存していたというだけでなく、多種多様な圧倒的に獰猛な動物がこれでもかと、次から次へうじゃうじゃ出てくる。
観ているこちらが絶望したいくらいである。
しかもみな巨大である。
正直、ここまでやるのか、と途方に暮れるくらいだ。
しかし、それでも焦点が崩れずしっかりアンとコングの関係が一本通り、そこにドリスコルの果敢な愛とデナムの強力な野心が絡んでくる。デナムの何にでも徹底してカメラを回す、映画至上主義の姿勢には、これはこれで共感できたが、カメラが壊れコングを見世物として持ち帰り金儲けだけの野望に変換したところで何だこれはである。この流れがなければ、コングがニューヨークには来なかったのであるが。
イングルホーン船長やジミーとヘイズ、バクスターの人物像も活き活きとくっきり描かれ物語は重厚に展開する。
スカル島原住民の他者性も充分に描かれていた。
最後は、余りにも有名な塔の頂上での飛行機との決戦だ。
コングはアンの身を庇い銃弾を浴びて落下し絶命する。
その直前の至福の場は、そう何処にでもあるものではない。
(しかし、実は非常に近くの小さな場に存在するものだと思う。)

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