紙屋悦子の青春

2006年
黒木和雄監督・脚本
原田知世、、、紙屋悦子
永瀬正敏、、、永与少尉(悦子の夫、「お父さん」)
松岡俊介、、、明石少尉(悦子の初恋の人、永与の親友で特攻隊で死ぬ)
本上まなみ、、、紙屋ふさ(安忠の妻、悦子の義理の姉)
小林薫、、、紙屋安忠(悦子の兄)
これも中身は縁談絡みの噺で、最初と最後そして中間に現在の老境にさしかかった悦子と「お父さん」のまったりした対話がある。
しかし現在の病院の屋上での騙りは二人による回想が主であり、何やら霞んだ雰囲気で、舞台袖での演技を想わせる。
一方、その当時(昭和20年)の二人がまだ結ばれる前(縁談~お見合い)の若い頃の場面は、素朴で初々しい漠然とした希望も感じられる。
縁談~お見合い噺もみな基本は対話であり、ことばの聞き間違えや緊張してガチガチなやり取りなど、ユーモラスなところもかなりあり、フッと笑える。
縁談~お見合い噺が暗い訳もなく、戦時中であろうが、特攻隊員として死を決意する者がいようが、日常の生活においては桜が咲いて桜が散り、耳を澄ますと海などないのに波の音が何処からか聴こえてきたりする、、、。
昼も夜も明るい。
そして静かだ。
ふさと安忠の口喧嘩の時すら静謐な雰囲気に包まれている。
そんな、昭和20年終戦間近の鹿児島であるが、ほとんど部屋か部屋から臨む庭先程度が舞台である。
あくまでも空間を、現在は病院の屋上の椅子に座って、当時は鹿児島の紙屋家の部屋に限って、悦子を中心に描く。
まさに舞台劇を見るような形式である。
このまま戯曲でもよい。

基本、テーブル(卓袱台)で戦時中の配給で貰ったおかずを囲んでの質素な食事をとりながらの、方言による軽妙な魅力ある対話で構成される。
家族の場合は、それであり、永与少尉(と明石少尉)との場合は、静岡産のお茶とおはぎであったりする。
静岡のお茶はお客さん用の取って置きの御馳走であり、特に美味しそうである。
(役者がまた美味しそうに飲むこと、、、)。
さらに悦子とふさ、安忠の方言の騙り合いのリズムがとても心地よく綺麗で魅惑的である。
ここには一切、戦闘場面や爆撃を受けた悲惨な市街地などの映像は出てこない。
死を覚悟した人は出てくるが、死骸の類も全く見せない。
しかし、バックグラウンドにそれが逼迫しているという空気は漂っている。
明石少尉がある時、唐突にやって来て、特攻隊に志願したことを紙屋家の人に告げる。
ふさは、悦子と明石を二人きりにし、思いのたけを語らせようとするが、悦子は彼を見送らず、家の奥で慟哭する。
これだけで、充分である。
人物の数を最小限にして人物像を色濃く浮き立たせる。これには対話の妙が充分に効いている。
そして噺の焦点を絞りその流れのディテールをしっかり描く。
明石少尉の沖縄出征の報告時から後の悦子の心情には、本当に共感、共振してしまった。
静かな確かな説得力である。
永与少尉(今の「お父さん」)は、明石少尉に悦子を託された形であった。
(勿論、永与少尉は悦子に一目惚れして結ばれたのであるが)。
死んだ明石少尉の最期の手紙を永与少尉が悦子に渡すシーンは、もはや蛇足であるがダメ押しであり、戦争映画が戦場を描くばかりではないことが分かる。
これは、反戦映画成り得ていると思う。
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