黒い雨

原子爆弾投下後に降る「黒い雨」である。
1989年
今村昌平 監督・脚本
井伏鱒二 原作
武満徹 音楽
川又昂 撮影
田中好子 、、、高丸矢須子(叔父の重松夫婦に育てられた20の女性)
北村和夫 、、、閑間重松(横川駅の列車内で被爆)
市原悦子 、、、閑間シゲ子(重松の妻、住宅内で被爆)
原ひさ子 、、、閑間キン(重松の母で矢須子の祖母、認知症)
三木のり平 、、、好太郎(残留放射能に二次被爆した重松の親友)
小沢昭一 、、、片山(残留放射能に二次被爆した重松の親友)
石田圭祐 、、、岡崎屋悠一(精神を病む元特攻隊員)
山田昌 、、、岡崎屋タツ(悠一の母)
常田富士男、、、老遍路
高丸矢須子は、瀬戸内海を渡る小舟の上で、黒い雨を浴びる。(爆心地からは離れていたが)。
物語は終始、矢須子の縁談を軸に進んでゆく。
この「縁談」から離れないところが良い。
ここが途切れてしまい、人々を俯瞰して見るような流れとなったらイデオロギー(集合知)で騙るような噺に脱してしまうかも知れなかった。
ともかく一個人の関心事、願い~身体性に寄り添う形で進まなければ、実感が遠のく。
映画であれば、どうしてもその時代考証や捉え方にズレはつきものであり、この原爆投下の時期というのは、大変微妙なところだ。少なからずこの場を体験している人から見れば、それぞれの立場からの異議が出てきてもおかしくない。
実際の死骸はあんなものではなかった、とか被爆した被害者の描き方とかその時分の農民の姿とか、人々全般の他者に対する姿勢や傾向など、、、。
当然出てくるそのような齟齬も、うんと絞った関係~ディテールの描写で身体性における共感を保つことはできる。
被爆者差別や病をもった者に対する偏見や根拠のない噂に流される世間の本質がそこにしっかり晒される。
全体を隈なく正確に描くという事自体に意味はない。断片に感性が充分に浸かることのできる描き方がなされていれば充分だ。
また武満の音楽が死の不安と生の欲望に対する大変微細なニュアンスを饒舌に表現していた。
武満の音楽はシーンと切り離せぬ純度にあった。
矢須子は母が出産後すぐに亡くなったため、叔父夫婦のもとで育てられる。
重松夫婦も彼女の事をとても大切に育てて来た。
年頃でもあり、嫁に出してあげたいと願うが、、、。
彼女が「黒い雨」をかつて浴びていたことから、良縁があっても必ず壊れてしまう。
先方は最終的に器量よりも健康を優先してくる。
と言うことより、「黒い雨」に当たったという事自体が負の価値であり、それを背負込むなんて世間的に謂って論外なのだ。
それこそ家に傷がつくとかいうレベルで。
重松夫婦は矢須子の日記をまとめて清書し、当時彼女が爆心地から離れた場所におり、被爆していない旨の書類を作成するも、正確を期した情報など全く役には立たない。悪い噂の方が人々の好みなのだ。
何でアメリカは広島に原爆を落としたのか?
それが分からないで死にたくないものだ、と言って片山は死ぬ。
まったくだ。

広島がのうなってしまった、という感が充分に分かる瓦礫と無残な死体の横たわる(水に浮く)焼け野原を、重松夫婦と矢須子の3人で取り敢えず重松の勤務する工場に避難するために横切ってゆく。その途上、顔に酷い火傷のある老遍路に出会う。
彼が自分は防空壕を出た矢先にピカドンにやられたこと、妻は即死したが息子は足を倒れた柱に挟まれ動けないでいたため、懸命に助け出そうとしたが柱がびくとも動かず、やがて火が周って来て息子を置いて逃げてきたことを打ち明ける。
顔の傷は痛まないがこころが痛むと。
「とうちゃんたすけて~」(日本昔話の語り部が息子のことばを何度も何度も繰り返す、、、)
この場面は、可哀そうとかお気の毒にという同情といった感情に落ち着くものではなく、その場にいてしまった3人にとってはただ慄然とするしかなかった。早々に彼らはその場を立ち去る。その男は別れ際、矢須子に無表情に水を求める。
彼が水をがぶ飲みしているのを打ち眺める矢須子の表情は、名状し難い存在の生々しさ~恐怖に強張っていた。
こんな場面だけでももう充分である。事細かにあれやこれやを拾い描きつづる必要などあろうか。
(この息子が生きたまま、周って来た火に焼かれる場面は、「はだしのゲン」にもあった)。
元特攻隊員で、普段は小屋に籠って石像を彫っているが、エンジン音に反射してすかさず表に出て行き布団爆弾を車に仕掛けて止めてしまう矢須子の幼馴染も、帰還兵の悲痛な姿を表している。
ただ、この村(祖母の住む彼らの疎開先)の救われるところは、この男をみんなで守っているところである。
そして、普段は大人しく石像を彫り続けている男に、矢須子も惹かれてゆく。
家の身分には大きな差があるが、相思相愛である事を知った男の母が矢須子を嫁に貰いたいと重松に頼む。
当然、重松はその急な申し出に愕然とする。彼は良家との縁談以外考えていなかった。
しかもその男は精神に病を抱えている。だが彼がどんな人間であるかについての本質的洞察はしているのだ。
そして矢須子の自らの気持ちを大切にしてあげたいという妻シゲ子の進言に彼も同意する。
「わたしは悠一さんを尊敬しています。」
自分の目で相手を見て、考えられる人もしっかりいるのだ。

「正義の戦争より、不正義の平和の方がまだマシ」重松の噛みしめる言葉が実に説得力がある。
お嫁にも行く間もなく矢須子がついに発症してしまったのだ。
悠一に抱きかかえられて行き絶え絶えの彼女は車で病院に運ばれてゆく、、、。
もうすでに矢須子の縁談で奔走してくれた好太郎も鯉の養殖仲間の片山も死んでおり、頼みの綱の妻のシゲ子も発症して死んでいる。
その上に、矢須子まで、である。
彼はあの山に綺麗な7色の虹が掛かれば、彼女の病は治る!と胸に念じる。
そういうものだと思う。
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