青木繁

「黄泉比良坂」
彼はギュスターブ・モローが大好きだったという。
なるほど、と思う。
通じるものがある。
神話を題材とする(ロマン派的)というだけでなく、一時期特に色彩の扱い方が近い気がする。
厭世的なところも似ている。まあ、世間など端から相手にしない芸術家は少なくないが、青木の場合、食ってゆく必要からなかなか大変であったようだ。
金銭面については、モローは全くお金に不自由する人ではなかった為、悠々と隠者生活が送れた。
この処女作の美しさには唸った。初めて観たとき、これが一番良いと思った。
黒田清輝の「白馬会」に出品し賞を得たというが、この絵はモローにも繋がる象徴性を湛えた神秘的な光を感じる絵である。
古事記(日本書紀も)を読み、日本人の根源に迫る絵を目指していたようだ。
これは、とても優れた方向性だと思うし、彼の描画スタイルにも合致していると思う。
そのまま行けば、東洋のギュスターブ・モローの誕生だ。
彼は早くから「天才」と呼ばれる。
自身もそう確信していることが良くわかる「自画像」を描いている。
「丹青(絵画)によって我男子たらん」と初心表明していた。
絵でアレキサンダーのような存在になる野心をもっていたようなのだ。

「海の幸」
彼独自の作風であるし、代表作となるだけのモニュメンタルなインパクトがある。
とても勢いがあるダイナミックで的確なタッチだ。
画力が充分窺える。
恋人の白い顔がこちらを覗いている。
常にそういうものが気になり、その文脈の中に自分独自の意味~象徴を埋め込んでしまう人なのだ。
絵によっては、何気なく恋人の下に置いてきた息子まで出演している。
それは、気になるのは当然であろうが、主題的に関係ない作品に表出させてしまうのである。
自分の気持ち(無意識的なもの~要求)にとても率直なのだ。
(表現者の特徴であり、ある意味特権ではあるが、、、)。
この行列は、地元の漁師に謂わせれば、全くの想像の賜物であり、実際にこういう形で獲物を捕らえてから行列して歩くことはないという。祭りの形体から援用しているとみられるところはあるらしいが、元の形などはさしあたり、どうでもよい。
日本(人)の源流を漁師たちの姿を借りて青木のイメージで掬いだしたものと謂えよう。
わたしもこれには見入ってしまうが、漁師たちの表情がもはや、日常のヒトのものではないのだが、神話的な人物というような特別な存在(英雄や偉人)にも見えない、何かヒトの原型を観るような気分になる。
一口に言って、不思議な感じの拭えない絵なのだ。
パリで展示された際にも、鑑賞したパリジャンたちは、皆不思議がっていたようである。
だから注目され続け、代表作なのだろう。

「わだつみのいろこの宮」
はっきり言って力作と一目で分かる絵である。
やる気を出して、充分に構想を練って準備して描いたなと恐らく誰が見ても分かってしまう絵であろう。
大変美しく隙の無い作画であるし、完成度がとても高いものだ。
ただ、丁寧なタッチで描き過ぎたきらいはあり、やや説明的な感もしなくはない。
もしかしたら、賞狙いの欲が過剰に働いたか。
「海の幸」みたいに描きたいもの~イメージを一気呵成に、奔放に定着した凄みは後退している。
綺麗な絵である。
当人の期待した称賛は得られず、大きな落胆を経験することになる。
しかし、自分がよく描けたという確信があれば、世間がどう見ようがそんなことはどうでも良いのではないか?
自分にとって(内的必然において)どうなのか、それがすべてではないのか。
勿論、大家となって名誉欲を充たし、金銭面でも安定を得る必要はあったかも知れないが。
であれば、一回くらいの挫折で落ち込んでいる暇はあるまい。
10回続けてトライしても大賞が取れなかったというなら分かるが、たかが一度思った賞が取れなかったくらいで大変な落ち込み様というのは、なんとも、、、。
非常な自信家であった分、打たれ弱いヒトであったようだ。

「朝日」
恋人とその間に生まれた子供を残し、故郷に戻って生活を支える絵を描いていたが、その後、、、
九州各地を放浪し酒に溺れながら極貧のうちに唐津の海に最期に行き着く。
そこで、何故か「朝日」を描く。
写実のようで心象風景に他ならない異様に神秘的で幽玄な美しい海の光景である。
幻想の朝日であろう。
そこに見えない「朝日」を見ようとしたのだ、、、。
絶筆である。
28年の生涯を閉じる。
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