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娘のお出かけ~北斎とルノアールも少し、、、

hokusai.jpg

7月31日からずっと、娘が海外旅行である。
15日にならなければ戻ってこない。
娘のいないうちに色々やろう、と思っていたのだが、いざ自分の空間にあの小うるさい娘たちがいないと、腑抜け状態になってしまう。計画を綿密に立てなかったから、とかいう問題ではなく、、、。
ボーっと一日が過ぎてしまうのだ。
活気がないとかいうものとは違う感覚である。
(うるさいのと活気とは違う)。
ただ、自分のなかに発動する何かがないのだ。

、、、わたしには、もともと中心がない。

おまけに、天気も悪く、月も出ない。
娘たちとはじめて、毎日収穫のあったトマト畑も、嵐でかなりの大打撃を食らってしまった。
昨日、結局3本木を始末した。

何だか蒸し暑いうえに、空虚な感じにとらわれるものである(爆。


今日は北斎やルノアールを観て過ごした。
北斎の技量の高さには、ひたすら驚愕するばかりである。
その上に発想の豊かさと自在さ、というか観察力とその構造の原理を掴みデザインに的確に活かせる能力の高さに驚く。
また、よく言われる茶目っ気である。
やはり、その通りだ。
富士山であれだけ遊べる人はいまい。思わず笑ってしまう。
そして夥しいバリエーションの獅子である。
もう、北斎その人である、としか言えない。獅子がそろばん弾いて小言まで言っている。
更に波頭の形体の妙。砕ける波がどんどん雄弁に迫力を増してゆく。
ついに波しぶきが鳥となって羽ばたき飛んでゆく様は、もうエッシャーである。
(勿論、エッシャーより早い)。
波の打ち寄せと引き潮の動きの雄弁で簡潔なこと、、、。
とても解き放たれた心地よい想像力を感じ、スーパーフラットな閉塞的な圧迫感が全くない。
そして波だけが時空の奥に向けて螺旋状に運動してゆく光景は、宇宙の創造そのものを肌身に感じるところまでゆく。
神秘的であり偉大さを感じるが、重々しさはない。

どんな描画法であろうが何が題材であろうが、何でも彼の独自の絵として完璧に迷いなく仕上げてしまう。
晩年の肉筆画の圧倒的な技量には、ただもう唸るだけであるが、とても心地よく絵の中に入って行ける。
ここがきっと肝心なところなのだ、とつくづく思った、、、。
ここまで神業となると、上手いとかどうとかではなく、ただ気楽に楽しめてしまう。
そういった、行くところまで行った「軽み」が感じられるものである。

Mlle Irene Cahen dAnvers

ルノアールは、断然初期が良い。1980年代は瑞々しさを保ちながらも熟れてきた作品が多く、とても好きだ。
1970年代の固さが感じられる絵にも惹かれる。
だが、わたしはこのあたりの初期の頃の絵しか見る気がしない、、、。
何といっても印象派である。
外に絵の具を持って(開発されたチューブ入り絵の具で)光と色を、特にルノアールは繊細なタッチで描いてゆく。
光と色は常に新たに発見され、カンバスに小気味よく定着される。
その息遣いさえも感じられるタッチの画面は、どれも気持ちよい。
この雨ばかり続き風もひどく鬱陶しい時に見るには最適な絵である。

ルノアールは、もともと陶磁器の絵付け職人から出発した人であるから、細やかなタッチと心地よい色遣いは特徴的である。
とても清々しく優しいハーモニーに充ちている。(何しろ陶磁器が気持ちよい模様でなかったら商品にならない)。
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」、「二人の姉妹~テラスにて」、「舟遊びをする人々の昼食」とか、風景の中の群像(人物)の絵は、いつまでも観ていられるとても心安らぐ愉しいものばかりである。
そんななかでも「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」が特に好きだ。
こんな瑞々しく愛らしい少女像があるだろうか。
こういった少女像は、この頃のルノアールの独壇場だ。
他の画家の追従を許さない。

しかし、1990年以降のルノアールの絵にはついてゆけなくなる。
巨匠となってから後だ。(巨大な恐竜が身動きできなくなったかのような印象を受ける)。
特に「ピアノに寄る少女たち」(1992)が象徴的であるが、もう何と言うかひたすら感覚的に観るに耐えないものとなってゆく。
晩年の「浴女たち」が良いという人も勿論いるだろうが、わたしは生理的にダメである。
有名画家の描いた絵の中で(教科書にも載っていた絵で)もっとも嫌いな絵が「ピアノに寄る少女たち」であったが、それは今も変わらない。それから、ぶよぶよのセイウチのような晩年のニンフ群についても。

最も好きな絵の一つも彼の「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」なのだが、、、。
わたしにとってルノアールとはアンビバレンツな存在なのだ。

まあ、そういったものであることが普通なのかとも思う。

だが、西洋画家でも、ギュスターヴ・モロー、バルテュス(バルタザール・ミシェル・クロソウスキー・ド・ローラ)、ウンベルト・ボッチョーニ、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、フランツ・マルクなどは、どの作品をとっても強烈に好きである(爆。


天候の悪い日は、自分の好きな絵でも観て、音楽を聴いて過ごすのが一番に想える。
(ただ、娘たちがいないうちに出来ることは少しでも進めておかなければならない)。



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