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速水御舟

日本画には空間がない。
というより空気がない、と謂えるか。
速水御舟はそこに初めて?かどうか分からぬが、はっきりと空間~空気を導入した画家である。
彼は日本画家であるが、岸田劉生の影響を大きく受けたという。

Hayami Gyoshu001
炎の螺旋運動を細密に描かれた明るい蛾がさらに演出しているが、この炎を取り巻く~包み込む闇が、多くの西洋画家ならば、無造作に平塗してしまいそうなところ、彼はそこにこそ全力を投入しているかに見える。
闇の芳醇な蜜のような風合いである。
この暖かみと明るみを秘めた闇は何であろう。
こんな闇は少なくとも西洋画に観たことない。
(西洋画では背景は単なる主題を際立たせる為の背景に過ぎない。特にルネサンス)。
また、この螺旋構造の炎の運動も日本画には見られなかったダイナミズムであり、自然観察の科学的な視座が感じられる。
関東大震災時のスケッチから生まれたとも謂われる。
まるでレオナルド・ダビンチである。
稀に見る怪しくも鋭い逸品。
「炎舞」

Hayami Gyoshu002
明暗の異なる数種類の群青と緑青さらに焼き群青を膠で溶いたものを皿に合わせて筆で掬い取りながら描いた逸品。
油絵具と異なり岩絵の具(日本画絵の具)は、混ざらない為、この筆の掬い加減のコントロールで遠景から近景までの面を絶妙に描き分けて行く。
この青は風景画における極致ではないか。
青で描かれた風景画で、かつてこれ程碧の広がりと碧の明暗の深い美しい絵があっただろうか。
とても日本を感じさせるしっとりとした風景であるが、もっと原風景的な深い郷愁も感じさせる。
いつまで観ても惹きつけられる風景だ。
芳醇な碧の空間である。
「洛北修学院村」
(速水御舟の作品では、わたしの一番好きな絵である。初期作品ではあるが)。

Hayami Gyoshu004
写実の極みの細密画である。
背景は描かれない。
ただ皿の影を落とすのみであり、何処にあるのか分からない「鍋島の皿に柘榴」だ。
かつて岩絵の具で、ここまで写実を企てた画家がいただろうか。
いずれにせよ、速水御舟は様式を嫌った画家である。
絵の具や手法を自分の世界の構築に利用・活用するにせよ、すでに出来上がっている様式で描くなど飛んでもないといった画家であろう。
常にZERO地点から、自分の感覚とこれまでに獲得してきた技術と技法の全てを動員して新たな表現に突き進む姿勢が明確に窺える。
その細密さは、他のディテールを極めつくした藝術家に劣らず、神秘性をも醸している。
「藝術は常により深く進展して行かねばならない。だからその中道に出来た型は、どんどん破壊して行かねばならない。」
彼の基本姿勢であろう。
鍋島の皿に乗った柘榴が確かに存在している。
絹本に様式的に描かれた日本画とは全く質の違う空間を感じさせることは謂うまでもない。

Hayami Gyoshu003
これは古木で有名な椿であり、現在は二代目となっているらしい。(御舟の描いた椿はもうない)。
「撒きつぶし」の技法で描かれ、背景の金箔の箔足や金泥による筆跡の全く見られない、金の粉を細心の注意をもって均等に撒く大変骨の折れる作業によっている。箔を貼るより10倍の金の分量を要するという。
しかしこれにより、多くの日本画に見られる平らな金の、のっぺりとした背景ではなく、全く次元の異なる光の空間というものが現出した。
琳派に戻り、その手法を消化したうえで、独自の屏風絵表現へと昇めている。
「名樹散椿」である。
同様の「撒きつぶし」による力作に「翠苔緑芝」がある。
そこでは紫陽花である。


彼について驚くべきことは、一作ごとに大きく作風が異なることである。
これはピカソにも比べられるところだ。
常に自分の確立した型を破壊して次に進む姿勢は、まさに同じであろう。
「絵画修行の道程に於いて私が一番恐れることは型が出来ると云うことである。」


惜しむらくは、彼が40歳で夭逝していることだ。
そこだけがピカソと大きく異なるところだ。



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