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藤田嗣治

fujita001.jpg

西洋絵画、特に印象派の絵など色は関係性に置いての色である。
関係でその色として見せている。

藤田は乳白色そのものを見せている。
色そのもの手触り~質を発明している。
そこが全く異なる。

肌そのものを描こうとした画家がそれまでにいただろうか?
その柔らかさ滑らかさ、押せばへこむような肌そのものである。


藤田嗣治のことはさほど知らないが、黒田 清輝に西洋画を学んだこと、例の乳白色と猫とキキとおかっぱ頭にロイド眼鏡などについては気にとめてはいた。
しかし彼の波乱万丈な生涯については、無関心であった。
何よりも乳白色の印象が余りに強かったのだ。

パリで藤田は研究の末、独自の乳白色の発明と「日本」を強く打ち出した面相筆による輪郭線の妙により時代の寵児となった。
特にキキの絵をはじめ裸婦像が妖艶で美しく印象深い。
ピカソとの親交は有名であるが、彼ならではの具象画をずっと貫き、エコール・ド・パリにおいて絶賛される。
その結果、フランスからレジオン・ドヌール勲章、ベルギーからレオポルド勲章も贈られた。
しかし、本国日本での反応は冷ややかと謂うより悪意に充ちており、「軽薄才子」はまだよい方で、彼は単なる宣伝屋であり、日本画の模倣で受けているだけの国賊であるという身も蓋もない中傷まで飛び交う。
パリの社交界で人生を楽しんでいる雰囲気が気にくわない人間が多かったのかも知れない。
(実際に成功を収め裕福になっていたが、作品数も8000点を数えていたという。勤勉さの結果でもあろう)。

藤田はメキシコに旅立ち、革命的壁画に触れ、民衆の支持を得たいと願うようになる。
当時メキシコと言えばリベロやシケイロスたちの社会主義壁画の大きなうねりのうちにあり、彼もその社会主義的洗礼を受けた面もあっただろうか。
これは世界恐慌と二次大戦への流れに際して、もはや富裕層による絵の買い上げが全く期待できなくなった事と表裏でもある。
彼は日本に帰国し民衆向けの大作~壁画に挑む。
「秋田の行事」などの大変横に長い大作~意欲作を手掛ける。
しかもかなりの短時間で仕上げその成果を誇っていた。

fujita004.jpg

そして戦時(二次大戦)にあたって日本の為に一兵卒として(従軍して)戦争記録画に全力を注ぐ。
「アッツ島玉砕」の凄まじい主題性。見る人誰もが手を合わせたという話は有名である。
この時、彼は日本に受け入れられたと真に実感したかも知れない。
ここには乳白色など一切見られず、赤茶色が主調である。
皮肉にも、パリ時代の作風からは想像も出来ないダイナミックな構図のまとまりも見せる。
文字通りの壮絶な力作であろう。
(しかし間違っても戦意高揚に加担するような絵ではない、、、)。

だが戦後、彼は日本で戦争責任を厳しく問われることになる。
仲間の画家たちからも非難を浴び、その責任を負うことを迫られる。
「国のために戦う一兵卒と同じ心境で描いたのになぜ非難されなければならないか」
彼の偽らざる心境であった。

酷く落胆した彼はパリに戻るが、そこもすでに彼の若かりし頃のパリではなかった。
マスコミからは「亡霊」扱いされる。
パリに戻ってからのカフェで物思いに耽る女性の寂寞感漂う絵は象徴的である。
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彼は、パリ近郊エソンヌにアトリエ兼住居を構え、人との交わりを避けて暮らす。
たまに会うのは学校帰りの子供たちくらいであったという。
藤田の描く子どもの顔は特徴的であり、皆同じような顔をしている。
(彼は生涯5回結婚しているが子供はない)。
彼は70歳を前にフランスに帰化し、カトリックの洗礼を受ける。
”Léonard Foujita”レオナール・フジタという名になった。


最晩年、終の住処として礼拝堂を創る。
1966年ノートルダム・ド・ラ・ペ礼拝堂である。
彼はその設計図から内壁のフレスコ画まですべてを独りで制作した。
その完成の後に亡くなる。


彼は生前、境遇についても自身の絵画制作についても多くは語らなかったが、フランスで絵の修復の際の剥離片から乳白色の秘密は明かされている。
硫酸バリウムをキャンバスの下地に用い、その上に炭酸カルシウムと鉛白を1:3の割合で混ぜた絵具を塗っていたようだ。
さらに「和光堂のシッカロール」が下層に使用されていることまで判明し、それによる墨の定着や運筆のし易すくなる効果が指摘されている。


「FOUJITA」という映画が日・仏合作で2015年に発表されている。
まだ観ていないが、オダギリジョーが藤田嗣治である。
フランス語での映画であろうか。
どんなものか機会があれば観てみたいが、、、。
(彼の生涯とあれば、切り口が難しいだろうな。そんな気がして、複雑な思いだ)。

fujita003.jpg
こうなるらしい。



「FOUJITA」観た方、宜しければ感想ください。

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