南伸坊「歴史上の本人」

よく知られる前衛芸術家で美術評論家の赤瀬川原平氏のお弟子さん?可愛いイラストを描くイラストレーターであり、美術手帳の編集長も長髪でなさっていた文芸評論家の南伸坊氏の名作(迷作かも?)、「歴史上の本人」。
日本交通社刊。1997年、1月元旦発行、ご紹介。
現在の流れから抵抗なく戻るには、氏の思想に一ぺん浸かるのが最適だと思いまして、、、。
いろいろ探しているうちに、久しぶりに出逢いました。
表紙は凛々しい(が少し優しげな)「織田信長」。
「、、、人生五十年~をどのタイミングでやろうかとワクワクしている顔にも見えて」。
本書は南氏が歴史上の偉人の謎を解明するためには、まさにその人になってみなければ分からぬ!
という、これまた歴史上に類を見ない氏独自の思想の下、当の人物の活躍した場所で数日間その人に成りきり、あたかも巫女のごとく謎を解き明かすことで、その人物像をより鮮明に活き活きと歴史上に浮かび上がらせた思想界に新たな波紋を投じた書でもあります。
なお、この成りきるという方法は単なるコスプレ?衣装を着て言動を真似るなどという小手先の手法などでは全くなく、顔自体もそっくりに真似ることで、思考・感情レベルまで本人となってしまう(これも氏独自の「顔面学」によるもの)、つまりなったことすら忘れてしまうことで未だに残る歴史上の偉人の謎に極限にまで迫ることのできたダイナミックな方法論であり新機軸として注目を浴びたものです。ちなみにそのような形式のもであるため、南氏がなんと言って、何をやったかを第三者として記録する重要な役割を奥様が果たしているようです。写真撮影も含め。なお彼女は、南氏が考察(変身)した人物になくてはならぬ衣装や持ち物の制作・管理・持ち運びもしている影のたて役者であると言えます。メイクもしてますし。しかし書そのものは旅のルポルタージュというものに酷似した作りになっており、氏が色々な場所で衣装を身に付け、小物を持った写真がたくさん掲載されているうえに日本中の様々な土地を旅行もでき、まんざらでもない気分を味わえたであろうことも想像に難くないです。
「、、、私は自分の顔を歴史上の人物本人の顔にして、本人として、ゆかりの地を訪れ、そこでちょうど記憶喪失の人が、自分の記憶を取りもどすように歩き回り、思い出そうとした。」
そして彼は本人でなければ思い出せないようなことを次々に思い出してゆくのであります、、、。
一言私見を述べさせてもらえれば、この学問的実践は一般化出来るものではなく、南氏でなければ実践成果が期待できないもののような気がしてなりません。
さて、その成果がどのようなものであったのか、ここで言ってしまっては、身も蓋もないので、、、。
南氏がいったい誰に迫ったのかだけ、お伝えしたいと思います。
二宮尊徳
金太郎
仙台四郎
松尾芭蕉
シーサー
キジムナー
徐福
聖徳太子
大村益次郎
大国主命
左甚五郎
清水次郎長
樋口一葉
西郷隆盛
小野道風
天狗
織田信長
運慶
改めて南伸坊氏の守備範囲の広さには驚愕しました。中には人とは思えないものやホントにいたのかと思うものも混じっていたような気が若干しますが、そんなことは読み進めるなかでは、何ら障害となるものではありません。
保証します。

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