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ばしゃ馬さんとビッグマウス

big mouse001

2013年
吉田恵輔 監督・脚本

麻生久美子 、、、馬淵みち代
安田章大 、、、天童義美
岡田義徳 、、、松尾健志
山田真歩 、、、、マツモトキヨコ
清水優 、、、、亀田大輔
岸田恵里子
岸田里奈

シナリオライターを目指す人たちの話のようである。
毎回コンクールに出す作品が常に落選している馬淵みち代に何故か若い青年が近づき、ズケズケと結構真っ当なことを言う。
一方彼女は、分かってもいないくせに生意気を言うなと蹴散らす。これも当然だろう。
結局、青年も自信作がコンクールの一次も通らず、反省してしまい彼女になびく。


昨日の話は、カーデザイナーが一念発起して、宇宙に飛び立つ夢を叶えるというものであった。
試験をパスしてロケットで飛び立つ、というところで完結する。
それはそれでよいと思う。

今回の話は、創作の話だ。
ちょっと分けが違う。
一体脚本家とは、かなり幅のある職種なのだろうか?
わたしが観て感動する映画などは、まさに脚本の素晴らしさから来るものであることが多く、脚本が出来ていなければ絵だけで到底どうにかなるものではない。
その脚本は藝術~文学レヴェルのものであろう。

しかし、ここで扱われている脚本家~シナリオライターとは、一種の言葉の仕立て屋か?
文章の目的、ジャンル、文体、読者層などの条件を入力すれば、多種多様なフォーマットと膨大なデータベースを頼りに小説を自動生成するAIも早晩現れるようであるし、そうなればどっちみち廃業となる職種か。
(すでにAI小説家~マシンは星新一のショートショートの文学賞には入選しているそうだし)。
実家の温泉旅館の若女将になった方が遥かにクリエイティブに思えるし、やりがいもあるのでは?

最初にニーズありきで作る流行商業作家であろうとしても、定石~パタンの組み合わせのみで構成して作品を仕上げるのは無理だろう。
人が書く以上、その人間の志向性・個性・経験・癖・無意識・譲れぬ価値意識など不可避的に滲み出てきて作用してくるであろうし、作るという作業に身を委ねている人は、まず最初に根源的にそれらの要素に突き上げられて作るしかない為に作っているはず。
つまり「夢」とか「才能」などというものは、その当人の創造過程には全く関係ない要素である。
強いて言えば、書くこと自体がすでに夢であり、才能などで書いている人はいまい。
創造過程に入り込んだら、それ自体の生成プロセスに内属してしまう。
(才能など外部的に事後的に他者が観てとる恣意的尺度であり、当人の必然には何のかかわりもない)。
だれもが書くしかないから書いているのだ。
深い孤独の内に。


内的必然性に従いめくるめく恍惚の創造時間に生成された作品は、その高揚感から他者の共感を得たいという極自然な感情も沸き起こるものだ。
そんな時に客観的な目~審査結果を確認したり、賞を狙おうとする気持ちも分かる。
フィードバックするものは大きく、他者の共感やそれによる自己承認は、より確信を深め意欲にも繋がる。
しかし書くこととは、本来的に絶対的に、自分の為だけに書いているのだ。
その創造の出来具合の尺度など自分の内以外の一体どこにあるというのか?!

この主人公たちにとっての創作とか夢とは、何なのか?
馬淵みち代がしきりに言っている、時流に合わせるとか分かり易いとか、どのジャンルで行くとか何とか、、、受けるかどうかを売れっ子監督に尋ねたり、自分に才能あるかどうか確かめようとするのは、一体どういう姿勢~立ち位置なのか?
スポーツの世界ならまだ分かる。バレーボールのサーブがより上手く打てるようになるにはどうすればよいか、コーチのアドバイスを聞き練習に打ち込んで結果を出す。
これはスポコンドラマか?

「ただ書くこと」の重みが全くない。

この主人公たちに才能が全くないことは、はっきり見て取れるが、それより問題なのは、創造行為そのものへの冒涜であろう。
最後に自分を曝け出して書いて、それが通らなければ足を洗うだと?!
これまで何をどう書こうが、不可避的に自分を晒してこなかったというのか?
その自覚さえ~感覚さえなくてこれまで長いこと、何年だったか、10年以上だと思ったが、書き続けてきたという、、、。
、、、呆れたものだ。

さっさと実家に帰って正解。
お見送りの青年も餃子一本に絞った方がよい。




、、、しかしこれは何を狙った、どういう映画なのか、、、?

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GOMA28

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