シン・ゴジラ

2016年
庵野秀明 総監督
樋口真嗣 監督・特技監督
庵野秀明 脚本
伊福部昭、鷺巣詩郎 音楽
長谷川博己
竹野内豊
大杉漣
柄本明
余貴美子
市川実日子
石原さとみ
平泉成
國村隼
松尾諭
これは政治ドラマか?
確かにお隣さんが核弾頭ミサイルを定期的に打ち上げている折も折。
国防、危機管理は大きな課題としてあるのは事実だ。
大地震だってどれ程のものが今後来るか分からない。が、その可能性は高いとされている。
ゴジラが如何にも怪獣っぽく動物的に暴れまわらず、静かに進行方向だけ崩して歩むところは、ある意味自然災害の人知を超えた威厳すら象徴しているように想われる。
これまでの怪獣らしさがほとんど感じられないもっと他者性の強い存在であった。
(わざとらしい擬人化した動き~妙な親近感が微塵もない)。
ここでは核使用(実験)の結果~無謀な廃棄によって生まれた巨大生物という、あっても不思議ではない実体であるが。
非常に大きな前例の無い(自然)災害に対する、日本人の闘い方を表しているともいえる。
目まぐるしいカット割りで、災害に対する政治家や軍隊の緊迫した対応の様子を描く。
いちいち、その職名や氏名、武器であるなら名前だけでなく型番までテロップで示される。
忙しないドキュメンタリーフィルムを観る気分だ。
しかも異様に煩雑で専門用語の飛び交う、シーンの連続である。
前半の総理大臣の苦悩と自衛隊の防衛出動の場面。
「有害鳥獣駆除」の名目で出動する。
組織で動くにしても、前例のない想定外の事態に対する法的解釈・整備・運用を巡って、またどの省庁がどのように受け持つかなど、大変ぎくしゃくするが、日本はまた上手く法律を解釈し合法化するのも得意である。
いざとなったら動き難く見えて、かなり組織として柔軟に狡猾に動ける国であると思えた。
しかし、戦う相手が余りに強大で完璧な生物であり過ぎた。
自衛隊の持つ軍事力では歯が立たないのだ。
御用学者と保守的官僚の限界から、各専門分野から特に個性的で秀でたエキスパートを選別しチームが作られる。
「巨大不明生物特設災害対策本部」である。
アメリカ映画のような非現実的な超脱したヒーローとヒロイン(どちらも最後に残る)は構造的に登場しない。
皆、どれ程の能力と才能をもっていても、組織として動く。
優秀なメンバーだが、あくまでも団結して動くところは、国民性である。
最も唸ったところは、安保法制~「集団的自衛権」の危うさの見事な提示である。
このような有事となると、どれほど同盟国の国益の餌食にされ国の存亡~解体の危機にも繋がりかねないか。
アメリカはデータはしっかり握ってたうえで、熱核兵器を使用することを同盟国間で決定してしまう。
日本に3度目の核を落とす流れとなるのだ。
東京に核を落とすことは何を意味するか。
それを何とか内閣総理大臣臨時代理がフランスに頭を下げて、投下時間を遅らせる。
その間に巨大不明生物特設災害対策本部は「矢口プラン」を打ち立てる。
ゴジラの原動力である体内の原子炉の冷却にとって重要な血液循環を止める血液凝固剤の経口投与を計画する。
それを実行する「ヤシオリ作戦」の実施にまで漕ぎつける。
同盟国の核兵器使用直前に、遠隔操作の新幹線や在来線列車による爆破攻撃と建設機械部隊とコンクリートポンプ車という、日本の誇る交通技術を駆使して作戦を成功させる。
ゴジラが冷却して動きが止まる。
新しいゴジラ像だ。
それにしても感動したのは、最初にゴジラが吐いた放射能である。
あれが前半戦の強烈なカタストロフであった。
それまでは全てをなぎ倒しつつ移動するだけであったから。
政府関係者もゴジラを甘く見ていた。
だが、形態を段階的に変えながらついにあるべき姿にまで変態する。
無敵の放射能の光線。
正直、あそこまでやるかとおもったが、壮絶なVXFである。
あれを見せられてはもう、史上最強の完璧な生態系という以外にあるまい。
おまけに背中からも凄まじい光線が出て近づくもの全てを撃ち落としてしまう。
これには、圧倒された。
これまで馴染んできたゴジラのフィギュアを払拭するものであった。
ストーリーもゴジラ自体も新しいゴジラの創生と謂える。
血液冷却剤を経口投与するというのは、どうであろうか?
経口投与によって理論的に必要な量を実際にしっかり授与できるだろうか?
注射などの手段を講じないと、零れ落ちる方が多いのではないだろうか、、、。
その辺が観ていて心配になった。
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