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炎の画家ゴッホ

Lust for Life

Lust for Life
1956年
アメリカ

ヴィンセント・ミネリ監督
アーヴィング・ストーン『炎の生涯 ファン・ゴッホ物語』
ノーマン・コーウィン脚本

カーク・ダグラス 、、、フィンセント・ファン・ゴッホ
ジェームズ・ドナルド 、、、テオ・ファン・ゴッホ
アンソニー・クイン、、、ポール・ゴーギャン


「生きる」
まさに、ただひたすら、自分の生を生きようとした(生き急いだ)フィンセント・ファン・ゴッホの悲痛な生涯の物語である。
こういう映画も作るアメリカの懐の深さを感じた。(ジョンウェイン=トランプみたいな側面はもつにせよ)。
ゴッホとは、”Reality”にどれだけ「絵」という唯一の武器で迫れるかに命をかけて挑んだ戦士である。
ポール・ゴーギャンも彼に劣らず自分の生を追及した人であったが、”Imagination”によって世界を再構築しようとした芸術家である。
この映画で作られたゴッホのイメージがデフォルトであろう。

「ゴーギャンとゴッホ展」に行ったことを思い出した。
以下、自分の書いたところからの引用。
「確かにゴッホはあくまでも目の前の対象に拘りぬくことからあのような表象を得るところまでに至り、ゴーギャンは対象をひとつの契機として永遠・普遍を要請するイメージをあのように構成した。」
ここが、激しい彼らの共同生活でのぶつかり合いでやはり鮮明になった。
部屋の中での激論も両者の資質の違いを際立たせていたが、外での制作中の諍いにもよく表れていた。
(とても上手い脚本だったと思う)。
ゴーギャンは表象の相対性を理念的に認識していたが、ゴッホにとって彼の五感に得られる表象はそのまま絶対で普遍なものだった。
このような場合、ゴーギャンが折れなければ、共同生活は無理だろう。

ゴッホとゴーギャンはそのまんまであった。
絵から抜け出してきたようなタンギー爺さんがこれまた良い味出していた。
ゴッホが施設を出た後、彼を治療観察する精神科医(エヴェレット・スローン)も肖像画そっくり。
勿論その他の、名もなき炭鉱夫やその家族、農民たち、、、。
アルルの桜やサンレミの松、、、そう映し出される場所や人が彼の描いた絵に重なる。
この撮影は随分骨の折れるものだったと想像できる。
(美術館・個人所蔵の作品を相当数かき集めたことが分かる)。
しかし、その場所や人々と照らし合わせるように見れるなんてそれだけでも贅沢である。

美しい映画であった。

この映画、弟テオ(の立場)に寄り添うことが多かった。
(ゴッホ、ゴーギャンの身になって考えることは可能だが、、、)
見守る立ち位置から、そこをもう少し気楽に行けないかね、、、とか思いながら心配して観てしまう。
基本、彼には余裕~遊びというものがない。
ゴッホは、行く先々で人々から奇異な目つきで見られ拒絶される。
妹からも、兄さんのせいで、家族が変な目で見られると。
兄の価値を認め続けるのはテオだけである。

基本、ゴッホはゴーギャンより真面目で正直で繊細で強情(融通が利かず)で極めて不安定で危険だ。
元々、概念による対象化が性に合わず環界に対しひりつく身体性を持っている上に感性に直結した表現方法をひたすら求めたことで、もろさは、差し詰めゆで卵みたいなものか。
更に他者に対する感覚が薄いと同時に夢中になって入り込むと、外界からは何も受け付けない。
普通に集団内で組織的に仕事をするタイプの人ではなかろう。
経済的にも精神的にもテオの存在なくして絵を描き続けることは困難であったことは間違いない。
そしてテオの存在がなければ、ゴッホその人も作品もわれわれは知らずに終わった可能性が高い。
あれだけ、同時代に(ごく少数の才能を持つ者以外には)見向きもされなかったのだから。
テオの眼力と愛情なくして、今われわれが知るゴッホの作品はなかった。
(ゴッホ死後の作品収集・管理においても)。
テオの根気強く兄を信じ支え続ける暖かな眼差しなくしてこの物語自体が成り立たない。
ゴーギャンが言っていた、「わたしは君のように金を送って支えてくれる弟などいない」は非常に大きい。

絵を描かなかったら、ゴッホとは何であったか、、、。
伝道師を辞め(クビになり)、「絵」を発見してよかったと思う。
彼は絵によって命をすり減らしたのではなく、絵によってはじめて世界と真っ向から向き合い燃え尽きたのだ。
絵によって「生きる」ことが出来た。
それは幸せな一生であったはず。

彼は不吉な『鴉のいる麦畑』を描き、ピストル自殺する。
きっと映画のような光景だったろう。
「死は白昼にやってくる。」
その通りだった。

「兄さんかわいそうに、、、」
死を看取ったテオの言葉に同感である。
きっとどんな生であっても、最後というのはかわいそうなのだ。
愛していればなおのこと。



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