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めぐりあう時間たち

The Hours003

The Hours
2002年
アメリカ

スティーブン・ダルドリー監督
フィリップ・グラス音楽

1923年
ニコール・キッドマン、、、ヴァージニア・ウルフ(『ダロウェイ夫人』執筆中)
スティーヴン・ディレイン、、、レナード・ウルフ(夫)

1951年
ジュリアン・ムーア、、、ローラ・ブラウン(専業主婦)
ジョン・C・ライリー、、、ダン・ブラウン(夫)

2001年
メリル・ストリープ、、、クラリッサ・ヴォーン(雑誌編集者)
エド・ハリス、、、リチャード・ブラウン(詩人、小説家)
クレア・デインズ、、、ジュリア・ヴォーン(クラリッサの娘)
アリソン・ジャネイ、、、サリー・レスター(クラリッサの同棲相手)


音楽がフィリップ・グラスであったことが、この映画を観る決め手となった。

やはりフィリップ・グラス以外の何者でもない音楽であった。
映像も音楽に見合った充分な影を纏った美しいものであった。

生きる場所(時空)の異なる3人の女性の運命的なめぐり逢いを描いたものとしたいのか、この邦題は。
しかし、「時間」に「たち」等とつけるのは、余りに安易である。安物トレンディドラマじゃあるまいに。
何とも気色悪い。


一番重い役を見事に熟していたのは、ローラ・ブラウンのジュリアン・ムーアだった。
これは難しい役どころだろう。
1950年代の女性の立場、、、戦地から帰ってきた夫を慈しみ支えて暖かな家庭を築くという理想~超自我、をさほど抵抗なく引き受けられる神経の持ち主も多くいたことであろう。
しかしローラは、外見は何不自由ない幸せな家庭の模範的主婦として暮らしていながら、埋めようのない空虚~疎外感に追い詰められていた。
彼女は、世間体もとても気にして生きていただろう。特に夫に対するペルソナにおいては神経をすり減らしていたかも知れない。
その微妙な深部での揺れ動きは、幼い息子には敏感に感じ取られていた。
彼は長じて詩人となる感性豊かな少年である。
その彼が感じた母親の深い葛藤がさらに彼の感性と想像力を鋭敏にしてしまったことは、ある意味不幸でもあったか。
その暗部とは、何か?

例えばそれが具体的に、性同一性障害であったりするかも知れない。
統合失調症や躁うつ病という形で診断されてしまう場合もあることだろう。
だが、実はそれが、何であるかを言うことは出来ない。
実存と一口に言ってしまえばそれまでだが、、、。

ローラは、息子が追い縋るのを振り切って独りホテルに行き、そこで薬を飲んで自殺を企てる。
きっかけは子宮に腫瘍のできた友人が「子供を産まなければ一人前の女ではない」と言って泣くのを見て思わず抱き寄せキスをする。だがそれを彼女に拒まれたように敏感に感じたことが、その行為への引き金なったようだ。
人が自殺を決めるときなど、そんなものである。
しかし自分の寝ているベッドが水に呑み込まれそうになる幻覚に襲われ彼女は思い直す。
息子の下にもう一人の子供を授かったことに気づいたのだ。
ローラは一旦家に戻り、その妹を出産してから家族を捨て失踪する。
彼女は自分も知らない国、カナダの図書館に勤め、初めて独りで暮らす。
思い切った行動だ。勿論、世間から一方的な非難の対象となろうし、許されるものではない。
全くローラ・ブラウンらしからぬ異様な行為として窺える。


現代でも、過剰な(ウーマンリブ的な)自己主張をするわけではないが、いつも微笑みは湛えたまま、どこかで「本当に生きたい」と密かに強く望んでいる女性(男も当然)はいるものだ。
これは普遍的なものである。
ローラ・ブラウンの表情をした女性は確かに普通に何処にでもいる。場合によっては本人もそれと気づかず。

The Hours002

2001年の表向きは何の抑圧もないような素振りで、同性愛の相手と暮らしている自由なキャリアウーマンのクラリッサであっても、しっかりとした自立を勝ち得ているかと言えば、そうではない。かつての恋人でありエイズになった詩人の身辺介護をしながら彼に依存し、それを自分の存在意義の一つとして生きている。
彼の文学賞受賞パーティで、花を沢山買いパーティの為の料理や支度を念入りにし、彼を元気づけようとするが、彼の元恋人(男性)が現れ、話をするうちに感情的に混乱を極める。
自分の問題に触れる。自分が思いの他、解放も自立もできておらず、実は日々不安に苛まれていることに気づく。
彼はクラリッサをダロウェイ夫人とも呼んでいた。
パーティの迎えに訪れたとき、彼女の目の前で詩人リチャード・ブラウンは、アパートの窓から投身自殺する。
「君の為に生きて来た。でももう行かせてくれないか」と言い残して、、、。

ヴァージニア・ウルフは、もっとも自覚的で創造性のある女性である。
この物語自体が、彼女の『ダロウェイ夫人』の執筆に同期して流れてゆく。
(他の二人の女性ローラとクラリッサもヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』を読んでいる)。
ヴァージニアが精神を病んだことから、夫レナードの計らいで田舎に居を移して療養生活を送っていた。
夫は出版業を営みつつ妻の執筆の援助と健康の回復を願っている。
だが彼女は自分の身を医者に任せたり頼る気など微塵もない。
彼女に必要なのは静養や保護ではなく、刺激に満ちた場所なのだ。
自分で物事を判断し決定して生きたい。
自立した個として自分を解放して欲しいことを夫に渇望する。
彼はそれを承諾し、彼らは元居たロンドンに戻ることにする。
しかし、彼女はその後、「私たちほど幸せな二人はいない」という書置きを残し川に入水自殺する。
(ローラの資質からすれば、空間的な距離を置くことで解決を図ろうとするが、ヴァージニアの場合、創造的な垂直性を要請する。ローラの場合の水は、新たな生命を守る羊水の象徴として現れたかも知れぬが、ヴァージニアの水は、創造性の枯渇~石を身に纏っての水没=下降の場となろう。もっとも彼女らしい選択である)。

非常に果敢に自覚的に闘い続けたヴァージニアが(そのためもあろうが)自死し、慎ましくひっそりと主婦の立場にいたローラが一人、他国の地で生き抜いてきたのだ。
ローラのかつて捨てた家族は皆亡くなっており、高齢となった彼女がたった独り生き残ったのである。
息子の死の知らせを受け、彼女はクラリッサの家に招かれてやって来た。
ローラ・ブラウンこそリチャード・ブラウンの母なのだ。
勿論、彼女は息子の文学賞を受賞した小説を読んでいる。
小説の中で自分は殺されており、それにはショックを受けてはいた、、、。

しかし、老女は騙る。
「後悔してどんな意味があるのでしょう。ああするしかなかった。誰も私を許さないでしょう。それでも私は死ぬより生きることを選んだのです、、、」
その確信の強さは絶対的なものであり、社会のあらゆる価値を凌駕する力を目に湛えていた。

クラリッサは、それを前にして何ひとつことばは出てこなかった。
その老女を見詰める事だけで精一杯であった。

The Hours001

クラリッサの若い娘であるジュリアが、リチャードの昔の恋人の男性と年老いたローラ・ブラウンの両者を「気持ち悪い」と評していた。
確かに彼らは反社会的であったりマイノリティであったりする枠以前の、実存的欲求に直結した生々しさを湛えている。
ヴァージニアは、それを生み出す創造者の側の立場である。


ヴァージニア・ウルフがニコール・キッドマンとは、思えなかった。
(大丈夫か、、、ここのところそういうケースが多すぎ)。
写真などで知るヴァージニア・ウルフにしか見えなかった。
あの鼻は、凄い。

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