創作活動に着手

今日は、独りで公園に出かけ、本当にぼんやりと一日のほとんどを過ごした。
気持ちがスッキリし、ものを作る状態にもってこれそうだ。
やはり自分のすべきことは創造活動に尽きる。
ぼんやりしながらも何とも言えないワクワク感が充満してきた。
そもそも時間とは、自分と無関係に切り離された世界の事象がひたすら立ち去って行く感覚から零れだしたものだ。
それが時間観念として、外在化した。
作品の制作に埋没している場所に時間を感じることはない。
時間が進んでいない可能性もある。
つまり身体がエントロピーの矢から外れている。
芸術家で恐ろしく長生きするひとは少なくない。
彼らは何処かで時間から離れて腰を下ろしているのだ。
逆に夭折する人も少なくない。やはり有り得べき時間性を無視したかのように。
時間・空間という自明性からの超克こそが存在の目標である。
自分の生を自分が支配することの究極的な地平であろう。
つまりは他者に一切何の依存も干渉も受けずに自立(自律)が成立すれば、自分の外に白々しい測りをみる必要などない。
まずは、心構えとしては、全てをありのまま受け容れ、それを評価しないことだ。
ただ、自分のフィルターを通してそれがアウトプットされるままに見守り驚き、愉しむこと。
そもそもただ人を批判したくてたまらず監視する(暗黙の)システムが時間と分かちがたく結びついてきた。
まさに時間の無駄である。
何のために生きているのか、意味もない。
それこそ人生はクズに等しい。
何にも左右されずに作るべきものを作る。
それだけでよい。
それ以外に、ない。
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